100夜100漫

漫画の感想やレビュー、随想などをつづる夜

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第91夜 鈍く終局する世界を見て歩くもの…『ヨコハマ買い出し紀行』

「この数年で世の中も随分変わったわ/時代の黄昏が/こんなにゆったり来るものだったなんて/私は多分/この黄昏の世をずっと見ていくんだと思う/私には/時間はいくらでもあるからね」


ヨコハマ買い出し紀行(1) (アフタヌーンKC)

ヨコハマ買い出し紀行芦奈野ひとし 作、講談社『月刊アフタヌーン』掲載(1994年4月[読切掲載]~2006年2月)

 何かが起こり、終わった後の世界。後世に“夕凪の時代”と呼ばれることになる、弛緩した時代。高台で暮らす初瀬野(はつせの)アルファは、今となっては個性の1つ程度に思われている、“ロボットの人”。お店とアルファを残して、ふらりとどこかへ行ってしまったオーナーを待ちながら、カフェのカウンターに立つ毎日だ。
 とはいっても、人もまばらな世界で、店を訪れる人は数えるほど。アルファもお店も開けたり開けなかったりで、近所の子どもと遊んだり、友人を訪ねたり、夕暮れ時に月琴を弾いたり。そんな日常とも、非日常とも云えない日々がとつとつと続いていく。この世界が夜を迎えるまで――。

主演:風景
 大学生の頃がいちばん暇だったのだと、今になると分かる。季節の移ろいや空の綺麗さをまじまじと見たのは、一人暮らしをしていたあの頃だけだ。その頃に大切に読んでいたのが本作である。感化された自分は、暇にあかせて夜中に散歩をしたり、自転車で走りながら出回り始めたばかりの写メールで風景を撮ってまわったりと、若干はずかしいことをしていたが、それはひとえに本作の風景の描き方があまりにも綺麗だったからだ。ということにしておきたい。
 春夏秋冬の空。海の水温。草の萌える小道。旅の夜。かつて人が造った物。そうしたもの達が、本作には色使いも優しげに描き出されている。未来の話にも関わらず、そうした風景に読者は懐かしさを抱くだろう。主人公のアルファはロボットで、その不朽性のために世界を“見て回る者”であるが、やはり本作の本当の主役は、そうした世界の有様、風景であると云いたくなる。

往く船を見送る
 とはいえ、そうした風景の中で進んでいく物語も、やはり無視はできない。かつて“何か”があった世界では文明は後退し、アルファのような“ロボットの人”が暮らし、詳細のよくわからない物事が存在している。それが何を意味しているのかは断片的だ。しかし包容力に溢れた作品世界が、分析しようとする読者を懐柔する。作者が次作『カブのイサキ』(第9夜)でも見せているこのスタンスは、既に本作で確立されているのだ。
 確かなのは、人々は減りつつあるということ、そして“ロボットの人”は生身の人よりも相当ながく存在できるということだ。そこに悲壮さは無く、誰もが静かに、のんびりと暮らしている。ただ、子どもたちが子どもでなくなる時が来ても変わらずカウンターに立つアルファの心には、いくばくかの波紋が広がっても不思議ではない。あらゆることが曖昧な本作で、彼女のモノローグからそれを読み取るのは困難だ。
 しかし時にフルカラーで描かれる情景は、それを補って余りあるほどに饒舌だ。平坦な道のりを静かに歩き、そこに至ったような最終話に、読者はどんな感慨を抱くだろうか。

*書誌情報*
☆通常版…B6判(17.8 x 12.6cm)、全14巻。電子書籍化済み(紙媒体は絶版)。

☆新装版…B6判(18.2 x 13.2cm)、全10巻。カバーイラスト描き下ろし。

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第90夜 勇者は誰か…『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』

「なんでもできる反面なんにもできないのが勇者って人種さ…/だが…勇者にも一つだけほかの奴には真似できない最強の武器がある…」「えっ!? な…なにそれ!?」「決まってんだろ/勇者の武器は/“勇気”だよ!」 『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』堀井雄二 監修、……

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第89夜 少しの不安は、田舎の夜空に溶けてゆけ…『きんぎんすなご』

「あんなに いっぱい/あるんだからさ/あした 見つからなくても あさって/でなけりゃ そのさき/見つけたいと思っていれば かならず 見つかるよ/星は なくならないから」 『きんぎんすなご』わかつきめぐみ 作、白泉社『月刊少女フレンド』、『別冊フレンド増刊 ザ フレン……

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第88夜 少女達の絶望と、公権力の暗部…『ブラッドハーレーの馬車』

「自分の肉体(からだ)がどんな事になってるのかよく判らない……/ああ……ただ ひどく苦しいの/こんな苦しみが まさかこの世にあったなんて……/あら…駄目よ/もっと楽しい事を考えなきゃ……」 『ブラッドハーレーの馬車』沙村広明 作、太田出版『マンガ・エロティクス・エフ……

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第87夜 パロディ、ジェラシー、満載の空騒ぎ…『太臓もて王サーガ』

「みなのもの!/出合え出合えー!!/美女はオレと出会え出会えー!!」 『太臓もて王サーガ』大亜門 作、集英社『週刊少年ジャンプ』掲載(2005年7月~2007年5月)  現実と幻想の狭間にある世界、“間界(まかい)”の王子、百手太臓(ももて・たいぞう)が人間界にや……

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第86夜 旅人が迷い込む、叙情と禍福と幻想の万華鏡世界…『紅い花』

「あのみごとな紅い花はなんというのだろう」「知らん」 『紅い花』つげ義春 作、青林堂『ガロ』掲載(1967年10月[表題作])  林と川のある里にやってきた釣り人の主人公は、親の代わりに茶屋を切り盛りするキクチサヨコに出会う。彼女の元同級にあたるシンデンのマサジは……

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第85夜 甘口な、けれど薄荷も効いた日々…『ハチミツとクローバー』

「うまくいかなかった恋に意味はあるのかって/消えていってしまうものは無かったものと同じなのかって――」 『ハチミツとクローバー』羽海野チカ 作、宝島社『CUTiEcomic』→集英社『ヤングユー』→『コーラス』掲載(2000年6月~2006年7月)  美大生の竹本……

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第84夜 彼岸と此岸の境を越えた喧嘩三昧の果てに…『幽☆遊☆白書』

「ちょっともの足りねーだけさ/要するにないものねだりってヤツだな/どっちに居たところで足りねーものはあっからな」 『幽☆遊☆白書』冨樫義博 作、集英社『週刊少年ジャンプ』掲載(1990年51号11月~1994年7月)  中2の浦飯幽助(うらめし・ゆうすけ)は超強い……

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第83夜 縁(えにし)の物語は出雲に始まり出雲に果つ…『八雲立つ』

「“気”よ…!/大いなる気よ…!!/我に応えよ!/我に依り憑きてその力を貸せ!!」 『八雲立つ』樹なつみ 作、白泉社『LaLa』掲載(1992年5月~2002年7月)  東京の大学生、七地健生(ななち・たけお)は、先輩に押し付けられた劇団の舞台取材のアルバイトとし……

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第82夜 旅の最果てを目指し、少年と彼女は行く…『銀河鉄道999』

「あなたは機械の体をくれるという星へ行くのね/もし私をいっしょにつれていってくださるならパスをあげるわ/私と同じパスをあげるわ」「パス?」「そう/パスよ/無限期間有効の銀河鉄道の定期よ」 『銀河鉄道999』松本零士 作、少年画報社『少年キング』掲載(1977年1月~……

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