100夜100漫

漫画の感想やレビュー、随想などをつづる夜

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第86夜 旅人が迷い込む、叙情と禍福と幻想の万華鏡世界…『紅い花』

      2018/07/14

「あのみごとな紅い花はなんというのだろう」「知らん」


紅い花 (小学館文庫)

紅い花つげ義春 作、青林堂『ガロ』掲載(1967年10月[表題作])

 林と川のある里にやってきた釣り人の主人公は、親の代わりに茶屋を切り盛りするキクチサヨコに出会う。彼女の元同級にあたるシンデンのマサジは釣り人の案内を請け負う。案内の帰り、マサジは川に流れる紅い花を見る。
 表題作以下、いずれも茫洋さと美しさと不安を湛えた短編集。

幾分かの夢心地
 黒澤明監督作品の『夢』という映画をご存知だろうか。あるいは夏目漱石の幻想的な原作を更にアレンジして映画化した『夢十夜』、もしくは内田百閒の小説『冥途』などに触れたことはあるだろうか。この作品集に収められた短編には、幾分か、そうした夢心地が漂っている。
 松本零士の作品(第24夜第82夜)と同じく、つげ義春の作品も父の部屋で知った。最初は古びた文庫版の『ねじ式』を読んだ。小学校中学年くらいだったので訳がわからなかった。しかし“世の中には不思議な漫画があるのだな”というだけは記憶は残った。
 しばらくして、父の本棚の別の箇所で本作を見つけた。同様に訳が分からなかったが、キクチサヨコの無表情に心惹かれ、物語の意味を、知識がないながらも嗅ぎ取ろうともがいた。かなり早目だったが、思春期の萌しと云ってもよかったのかもしれない。凶暴なまでの夏の山奥の自然と、ひと組の小学生の男女、語り手である主人公、そして、それらを一瞬にして連環させる鮮烈な紅い花のモチーフは、“旅人もの”作品が多く収録されたこの短編集の中でもやはり白眉と云えるだろう。

混淆する“いいもの”と“わるいもの”
 収められた作品たちは娯楽というよりも小説的である。しかし、むろん小説そのものではない。小説であれば文字や行間として表されるだろうことがらを画ですくい取っている。劇画調だったり、一時期アシスタントをしていた水木しげる風の画だったり、画面が極端に暗かったり、スケッチしたような写実的な背景だったりと、作品ごとに画面のばらつきは大きい。しかし、いずれも動きを表しながらも、どこか凝固した印象をもたらす点は共通している。読者はこの画から、奇妙に森閑とした雰囲気を感じ取るだろう。
 そこには読者が日常的に感じているだろう現実味はなく、かといって、あからさまな“おはなし”感もない。自分は小学校に上がるくらいまで、よく悪夢をみてうなされていたが、“その感じ”なのだ。
 作中で現出されているのは、普段と同じ現実から地続きでありながら、ありえない世界である。そこにはキクチサヨコのような可憐なイメージは無論ある。その一方で、いつ幸福が災禍に、平穏が陰惨に転じるか分からない、あの夢の中の怯えもまた、ある。いいものとわるいものとが、ごっちゃになった状態こそが夢の本質で、それが見事に紙上に組み上げられている。
 そんなひどく不安定物語は、言下には魅力的と云えないのかもしれない。が、幾度となく手に取らされてしまう。その不可思議な混交に、惹かれ始めてしまうのだ。その混交こそが、つげ作品の真骨頂なのだろう。

*書誌情報*
☆文庫版…文庫判(15.2 x 10.6cm)、全1巻。その他、収録作に若干の異同のある刊行物が幾つか存在する。

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