【一会】『コトノバドライブ 4(完)』……その5分間は、きっと誰にでも
2018/07/21
海の見える土地で、店長と2人で営む小さなスパゲティ屋「ランプ」で働くすーちゃん。ふとした瞬間に彼女が垣間見る、ちょっと不思議で怖くもあり、それでいて有り難さも漂う不思議な時空間と不思議な出会いを描いた『コトノバドライブ』が、3月刊行の4巻で完結となりました。
作中は夏の盛りから冬を経て早春にかけてのエピソードですが、初夏の宵に読んでもなかなか乙なもの。心に残ったことを書いていこうと思います。
上に書いた通り、今巻の季節としては夏の後半くらいからまだ寒さが残る頃くらいまで。描かれるエピソードたちは、死者を思わせる者との話、土地神や動物神っぽいものとの話、もっと曖昧な“かみさま”を思わせる話、自分の過去と自らが交錯する話、個々の意識に“見えているもの”についての話など、分類の仕方で色々な云い方ができると思います。
例によって印象に残ったものを挙げていきます――と思ったのですが、今巻はほとんど全話が印象に残るものでした。最終巻ですし、ここは全話について思ったことを語ろうと思います。
まず今巻最初のエピソード、route27「アブドライバーのこと」から。以前1巻で描かれた、虫に乗った不思議な存在との出会いのエピソード(route7「カナブンのこと」)の後日譚と云えましょう。虫は死者の魂の乗り物とは、なかなかの新解釈かも。でも、孔雀や牛に乗った仏像なんかもありますし、意外と古式に則った考え方とも云えるかもしれません。
自分はバイクには乗らないのですが、自転車に乗っていると「低空飛行しているな」という気持ちになることがあります。文字通りの低空飛行を楽しめそうな虫でのドライブ、その時が来たら自分も楽しめるでしょうか。
お次のroute28「黒い森のこと」も、3巻のエピソード(route26「ランチタイムのこと」)から続いたお話です。「ランプ」の近所にあるハンバーグ屋への近道にある黒い森ですが、これも以前登場したことのある(1巻route5「電線に鳥のこと」)紅色の髪をしたインコの少女の、ここは「わたしんち」とのこと。可愛らしい少女ですが、どこか底知れぬ印象が漂うのは黒い森というロケーションのためでしょうか。彼女との思い出をすーちゃんが思い出したことが、彼女にとって救いになったらと思います。
で、すーちゃんは例によってハンバーグ屋さんのランチに間に合わなかった模様。タイミングが合わない店ってあるもんですよね。そのうち味わえる時もあるでしょう。
3本目はroute29「潮マインドのこと」。赤潮は昼間に見ると不気味ですが、夜光虫が光る夜には幻想的な光景を演出してくれるようです。実際、夜光虫が赤潮の原因となることはあるとのこと。
そして、すーちゃんには夜光虫そのものに加えて、その力の現れも視えるよう。そんな光景を、自分には視えないからといって否定せず「見てえなあ」と云える店長は素敵です。2人の間に特別な感情は無さそうですが、ちょっといい感じの一夜ではないですか。海辺で2人が視える視えないという話をするあたりから、なんとなく、以前、芦奈野先生が描いた『蟲師』のトリビュート作品(当該記事)を連想します。
夏の空気が満載なのは、route30「海への道のこと」。喫茶店で涼んだ勢いに乗り、海まで歩こうとするすーちゃんですが、灼熱の道は爽やかさとはほど遠く。それが瞬く間に変わってしまうのが夏の魅力だと思います。
もちろん不思議要素もあるんですが、このエピソードはそれ以上に、最初に芦奈野先生を知った『ヨコハマ買い出し紀行』(100夜100漫第91夜)のような味わいかと。夏空を遠景にした最後のコマが素晴らしいです。
印象的なエピソードだらけの今巻の中でも、自分的に最も印象的だったのがroute31「あの坂のこと」です。下り坂を跳ね降りて、自分が描くカーブと坂の角度が一致する限りは空を浮遊していることになるのでは? という考えは、子どもの頃に抱いた憶えがあります。しばらく後に「人工衛星は、地球の丸みに沿って落下し続けているようなもの」と教わって、なんとなく似たような発想だなと思ったりもしました。
浮遊感のある夢も、自分はよくみる気がします。現実よりも何だか身体の動きが“もったり”しているので、坂道浮遊もし易いというものでしょう。起きたら粗相をしていないか思わず確認する気持ちも、分かります。
季節は移り変わって秋。route32「樫の実のこと」は、裏山で樫の実集めをするすーちゃんと、それを見て“樫の実カツアゲ”してきた土地神様と思しきお姉さんとのやりとりを描いたものです。ちなみに、すーちゃんは「樫の実」と云い、お姉さんは「どんぐり」と云いますが、後者は、前者を含めたブナ科の果実の総称とのことです。
ぴかぴかした立派などんぐりが落ちているのを見ると、確かに拾い集めたくなります。けれど、全部あつめずに敢えて取り残しておくのが礼儀というものかもしれません。それにしてもこの土地神様、佇まいとどんぐりへの拘りから、なんとなく『艦これ』の日向師匠を連想するような…(富士急ハイランドでの瑞雲まつり、おめでとうございます)。
続いては、晩秋の黄昏時を描いたroute33「夜の並木のこと」。友人の家からの帰り、子どもの頃から知っている道ですーちゃんの過去と現在が交錯します。シルエットで描かれた両者の邂逅が、ちょっと恐ろしげながらもノスタルジックで印象的でした。
新海誠監督の『君の名は。』でも出てきましたが、黄昏時とは、生と死も、過去と未来も、あるいは虚構と現実もない交ぜになるひとときなのだと思います。特に昔のことを考えながら歩いていたりすると、不思議にめぐり会うのかもしれません。
ラスト2話となりました。route34「春日ちゃんのこと」では、「ランプ」の店長の姪でもある春日(はるか)とすーちゃんの関係が改めて描かれています。
2人の関係は、この漫画全体を通して最も物語的な要素だったと思います。似ているようで別モノで、けれどもやっぱり近いものを視ている彼女たち。よい友人であり続けると思います。
最終話のroute35「ランプのこと」は、まだ寒い初春の、休業日の「ランプ」を描いたエピソードとなりました。なんてことのない1日に、ふと混ざり込んだ不思議は、すーちゃんの気持ちを新たにするものでした。
毎日を追われるように過ごしていると、自分の位置とか目指す方向とかが分からなくなることもあったりします。それらを再確認するために、自分だけの特別な景色というものがあるのでしょう。すーちゃんは特に敏感な性質ですが、本当は誰の目にもそれぞれの特別な景色は見えていて、意識の持ち方次第で視えたり視えなかったりするのかもな、などと考えます。
「コトノバドライブ」という題名に、自分は何となく「言の葉ドライブ」という変換を当てていました。けれど、すーちゃんの視た特別な景色をツーリングすることで、読者それぞれの“特別な景色”が視られる手引きとする「殊の場ドライブ」だったのかも、なんて今は思います。
芦奈野先生、素敵な漫画をありがとうございました。また何かの紙面でお会いできることを楽しみにしています。