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【一会】『進撃の巨人 15』……それは誰が為の“選択”か

      2018/07/21

進撃の巨人(15) (講談社コミックス)

 考えてみたら、作品そのものについて言及するのは初めてです、『進撃の巨人』。
 人類を脅かす強大な巨人が闊歩する“壁”の外と、母を殺され全ての巨人を駆逐せんと怒りに燃えるエレン・イェーガー、その幼馴染で卓越した戦闘能力を有すミカサ・アッカーマン、同じく幼馴染で体力的には劣りながらも切れ者のアルミン・アルレルトの3人を含む“兵団”や一般市民、王侯貴族の暮らす“壁の中”。
 当初は圧倒的な人類の敵に対して戦いを挑み続ける、悲愴さの中にも人間の誇りを謳ったダークファンタジーの体を成していた物語は、そのジャンル性を次々に拡張し、単純に絶望的な戦いを描くだけでない、巨人と人類をめぐる大きな秘密を追究していくものとなってきています。

 とはいえ今回の15巻では、巨人の謎についての追究は一休みといった趣き。代わりに描かれているのは、壁の中の人間たちによる政治劇と云えるでしょう。
 “人類対巨人”ではなく“人類対人類”という構図は、直撃世代の自分としてはどうしても旧『エヴァンゲリオン 劇場版』を髣髴してしまいますが、『エヴァ』で描かれたのと同様、究極的には、そこにあるのは“自分と同じ生き物を殺す”というおぞましさかと。それは新兵にとって、巨人との戦いよりもずっと、心身のダメージになるでしょう(それだけに、兵士長であるリヴァイの、ぶっきらぼうながらも真摯な言葉は温かいものに感じられます)。

 それでも、多くの読者が感情移入するであろう“主人公側”の面々は、“壁の中”の人々のため、ある選択を下します。「人々のため」と書きましたが、作中の調査兵団団長エルヴィンの云い方に倣えば「人類よりも人のため」ということになるでしょう。種としての存亡よりも、そうした匿名性とは反対の、顔も名前もある生きた人々のための選択ということになるかと思います。
 その選択からの一連の流れは、ある意味で理想的で、それ故に胸が熱くなりました。そしてまたそれ故に、去る12/14に行われた第47回衆議院議員選挙と、アイロニカルなシンクロニシティも感じました。
 それは、一兵卒から、新聞屋、商会会長、ピクシスやザックレーといった兵団の大物まで、誰もが自分の意識で選択し、それが一つの結果として結実しているからでしょう。もちろん、現実世界がそう簡単にどうにかなったら、それはそれで大ごとではあるのですが、彼らの態度は、“自分で選ぶ”ということの大切さと、同時にかかってくる重さとして、心に残ります。

 どうにも重い随想になって恐縮ですが、当然『進撃』らしいアクロバティックなアクションを魅せてくれるシーンも挟み込まれています。特に鮮烈だったのが、ハンジ分隊長による長銃相手のクロスカウンター。思わず副官モブリットとともに「ワイルドすぎます!!」とツッコミを入れていました。

 そして巻の後半、画面は誘拐されたエレンと王位継承者ヒストリアを描き出します。失われた記憶を再生し、絶望するエレン。和解したかのようなヒストリアとその父ロッド・レイス。手がかりを得て彼らのもとへと急ぐリヴァイ、アルミン、ミカサたち。
 衝撃の予感を残し、ついでに巻末の嘘予告で笑撃も与えつつ、次巻16巻は2015年4月9日刊行予定です。その日を鷹揚に、待つとしましょう。

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