【一会】『月影ベイベ 3』……大人の感傷と若者の幻滅
2018/07/21
1巻以来、楽しみに読んでいますが、ここで言及するのは初めてです。『月影ベイベ』3巻。現状では月影にもbabyにもあまり関係がありませんが、それは作者の前作『坂道のアポロン』(100夜100漫第138夜)でもそうで、それでも全編語られ終わった時にはほんのりと意味が薫るという名付けられ方なので、今はあまり気にしないことにしています。
さて、富山県八尾を舞台とした、伝統舞踊“おわら”を題材に採りつつ、高校生の佐伯光(さえき・ひかる)と、東京からの転校生でありながら巧みに“おわら”を踊る峰岸蛍子(みねぎし・ほたるこ)の偽装恋愛にまつわる交々(こもごも)を描いた物語も3巻目。光にとって、自分の伯父にあたる円(まどか)と蛍子の妖しい関係がずっと気になっていたわけですが、その辺りの話も今巻で一応決着と云えるのではないでしょうか。
その真相は、幾ばくか感傷を誘われるものでありました。円と旧友の漸二が酒を呑むシーンには、そのセンチメンタルが凝集しているように思います。まあ、波乱としてはそれで一段落ということでもなく、光は自らの胸の内に鈍い痛みを感じるし、蛍子と円は更に大変なことになっているようにも思えますが…。
その辺りは今後の展開を待つとして、やはり“おわら”という踊りの描かれ方がこの作品の一番の肝ではないかと思います。実は自分は一度だけ富山県を旅した折に“おわら”を目撃し、あまつさえ引っ張り込まれて踊ったりもしたのですが、夏の宵に見たあの踊りの優美さと、笠で顔を隠した少しミステリアスな印象が、擬音が控え目な画面によく現れています。台詞の富山弁ともあいまって、情緒深い空気が漂う漫画だと思います。
今巻で、光はある幻滅を経験します。人が人に抱く印象というのは多分に主観的なものなので、その食い違いが露呈することによって幻滅したり逆に見直したりということは割とよくあることと思います。
大人はそれが分かっているので、あまり過度に自分が造り上げた他者の印象というものを信用しないようになっていると思いますが、思春期の少年にとっては、一度の幻滅がその後の人格形成に関わってこないとも限りません。とはいえ、どこかで幻滅を経験しないと、自分の印象を妄信したまま大人になってしまうこともありそうなので、むしろ今巻のような経験は通過儀礼としては必要なのかなとも思ったり(それでも幻滅の衝撃度としてはかなり大きかったと思います)。
そんなほろ苦さに、ほのかに甘い恋情(のようなもの)を隠しながら、物語は静かに続きます。次巻は今秋発売予定とのこと、秋に相応しいしっとりとした読み味となっていることを祈りつつ、発売日を待つことにします。