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漫画の感想やレビュー、随想などをつづる夜

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第138夜 2人の日々は、あのスイングとともに…『坂道のアポロン』

      2018/07/22

「んふっ/相棒?/いやですよこんなの」「最高じゃないか/一緒にバカやれる友達なんて/大事にしろよ/恋愛と違って/友情ってのは一生もんだからな」


坂道のアポロン (1) (フラワーコミックス)

坂道のアポロン小玉ユキ 作、小学館『flowers』掲載(2007年9月~2012年7月)

 船乗りである父の仕事の都合のため、神奈川県の横須賀から長崎県の佐世保にある伯父の家へとやってきた西見薫(にしみ・かおる)。同じように住む街を転々としてきた彼の胸中は、倦怠で満たされていた。しかし、転校先の佐世保東高校での“ふだ付きの不良”川渕千太郎(かわぶち・せんたろう)との出会いにより、全ては変わっていく。
 クラシックピアノをたしなむ薫は、千太郎の幼馴染・迎律子(むかえ・りつこ)に誘われ、レコード店を営む彼女の家を訪れる。そこで見たのは、ジャズドラムを叩く千太郎の姿だった。喧嘩っ早く、バンカラ気風な普段の千太郎とはかけ離れた、その生き生きとした姿に触れ、ジャズピアノにのめり込んでいく薫。
 薫と千太郎。それぞれ家庭に複雑な事情をもった2人を中心に、律子、上級生の深堀百合香(ふかほり・ゆりか)、トランペットを吹く大学生の桂木淳一(かつらぎ・じゅんいち)たちによる、ジャズと祈り、恋と友情の日々は紡がれていく。
 時に1966年。パソコンもケータイも、コンビニすら無かった時代の、坂の街の物語。

その頃、その場所
 ある程度アニメについて知る人は、菅野よう子という名前に無反応ではないだろう。自分が中学か高校の頃に観た『マクロスプラス』以来、『天空のエスカフローネ』、『カウボーイビバップ』、『創聖のアクエリオン』、『マクロスF』と、氏の手がけたアニメ関連の楽曲は多い。民謡調の素朴な唄から、電子音が溢れかえる超未来的な旋律まで、その守備範囲は相当広い菅野氏だが、その氏がジャズを題材とした漫画のアニメ化にあたって音楽を担当する、という話を聞いたのが、この漫画との出会いだった。
 『カウボーイビバップ』での渋く洒脱な音楽が頭にあった自分は、原作はきっと百花繚乱たるジャズの世界への誘いに満ちているだろうと思い読み始めた。しかし、一読してその予想は裏切られた。これはジャズについての知識を提供したり、素晴らしさを伝道する類の漫画ではない。
 では何の漫画なのか。それを云う前に、この漫画の舞台である1960年代後半という時代について少し考えてみたい。
 この時期、日本中の大学(一部の高校を含む)で学生運動が活発化し、激しいところでは授業のボイコットやデモ行進、バリケード構築などが行われた。何故そういうことになったのか、何冊かの本を読んだが、それは運動していた学生それぞれで異なっている、というのが最も本当に近そうだった(学生運動末期から連合赤軍事件についての漫画作品としては、まだ未完ながら、山本直樹の『レッド』がある。が、学生運動そのものを描いた漫画作品は意外なことにあまり見ない)。
 また、この時期にはベンチャーズやビートルズが相次いで来日(前者は1962および65年、後者は1966年)している。レコードが普及し、洋楽が盛んに和訳されたりと、音楽的に成熟してきた時期という印象だ。
 こうした時代的背景と、戦後になって米海軍が駐留し、伝統的にキリスト教的色調の濃い長崎県佐世保という地域的特徴を併せて考える時、この漫画の湛える豊かなイメージが立ち現われてくる。それは、昔風の薫の髪形と眼鏡や、敬虔な信徒としての千太郎と律子の姿や、“淳兄”こと淳一がはまり込む学生運動や、そうした彼らの織りなす恋模様や、何より古き良き洋楽の息遣いとして、作品を彩っているのだ。

嫉妬するファンタジー
 にもかかわらず、それらはあくまで二次的なテーマでしかない。それぞれに魅力的なこれらの題材を掘り下げることで、脇を固める人物たちをより際立たせられ、全10巻(本編9巻、番外編1巻)の物語はさらなる広がりを得られただろう(正直なところ、そういう風にしてもっと長く読み続けたいと自分は思った)。にもかかわらず、作者はそういう描き方をしなかった。それら全てと引き換えにしても描きたい主題があったからだろう。
 では、何が主題なのか。
 単行本第3巻の作者コメントで、作者は云う。「この物語は、フィクションです。というか、ファンタジーです」と。作者のこれまでの作品や、本作の各巻に何本か収録されている短編には、確かにファンタジー(=現実的には起こり得ないだろうこと)要素が目立っている。しかし、本作で描かれるのは、現実に起こったとしても納得のいくだろうことばかりだ。短編と同じ意味ではファンタジーとは云えないかもしれない。
 だが、自分もやはりこの漫画を、ファンタジーだと思う。それは、薫と千太郎の「一生もんの友情」を、これほど高純度に描いたという、ただその一点による。
 自分にも有難いことに20年以上の付き合いになる友人がいて、1年ぶりに会っても何の挨拶もなく話が始まるくらいの仲ではあるが、それでもやはり時が経つにつれて興味の対象がずれてきているし、喧嘩をするほど真剣に何かに取り組むこともなくなった。それは友情が薄れたということではなくて、お互いに大人になったから、なのだが(そう信じている)、逆を云えば、それほど真剣に向かい合ったのは思春期の1~2年だけだった気もする。
 だから、ジャズを媒介として恐らくいつまでもお互いを思いあう彼らの姿が、眩しい。あり得ないんじゃないかと思う。そういう嫉妬にも少し似た意味において、この漫画は素敵なファンタジーだ。作中、2人に起こるのはどちらかというとほろ苦いことが多い(「ほろ」どころじゃない苦渋もある)が、きっと還暦を過ぎた2014年現在も、2人は変わらずセッションしているんじゃないだろうか。そんな妄想も笑って許容してくれそうな、すっきりとした快作である。

*書誌情報*
☆通常版…新書判(17.8 x 11.6cm)、全10巻(本編9+番外編1)。電子書籍化済み。

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