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【一会】『Pumpkin Scissors 21』…… 今、押込めていた「正義」を語ろう

      2018/07/10

Pumpkin Scissors(21) (KCデラックス 月刊少年マガジン)

 そろそろ刊行が1年前になろうか(2017年8月刊行)という事実に戦きますが、それでも『Pumpkin Scissorsパンプキン・シザーズ)』第21巻について、色々と書こうと思います。
 長らく続いた“帝国”と“共和国”の戦争。停戦から3年を経ても、その傷痕は種々の「戦災」として残存し、その最大級のものが“抗・帝国軍(アンチ・アレス)”による同時多発テロという形をとって“帝国”を襲いました。折しも“帝国”は、周辺諸国の要人が集う「西方諸国連盟(ネビュロ)合同会議」の会期中。8輌もの高々機動戦術装甲車「蠍の類型(グラフィアス)」、狡猾な情報戦といったアンチ・アレスの攻勢に、武勇で、知略で、新技術で、覚悟で、帝国陸軍の将兵はそれぞれに応戦します。“お祭り部隊”と揶揄されながらも「戦災」復興を旨として頑張ってきた陸軍情報部第3課「パンプキン・シザーズ」の面々も他に劣らぬ活躍を見せ、ようやくこの大規模テロも事態収拾に向かってきた、かに見える。21巻は、そんな時点から始まります。

 前述の通り、徐々にではあるものの事態は収拾へと向かい、帝国陸軍は残党を掃討しつつ、秩序回復に向けて動きます。アンチ・アレスの刺青に込められた「情報毒」が、厭らしく効力を顕しますが、アリス達の上司でもある“八つ裂きハンクス”の悪名により、人々は落ち着きを取り戻すことに。この漫画には、こういう“毒を以て毒を制す”な図式が様々な形で登場しますが、そんな役どころを何の逡巡もなく遂行するハンクスは、流石といったところでしょうか。

 アンチ・アレス側としても、“帝国を破綻させ、民衆に苦渋の人生を歩ませる”という目的はあらかた達成したという認識で、あとはどう締め括るか、というところの様子。帝国はボロボロになりましたし、大局的に見ればこのテロは成功でしょう。
 しかし、末端の実働部隊にとっては必ずしも“実感”が伴っているわけでもなさそう。これを補填するため、アンチ・アレスの大隊長(ジュバ)は、『蠍の王冠(イクリル・アル・アクラブ)』なる超重戦車っぽい巨大な戦車の砲撃をもって、最後の仕上げとしようとしているようです。
 その“実感”の伴わないことが、アンチ・アレス通信工作隊長(シャウラ)に、とある帝国軍人――アリス・L・マルヴィン少尉――との通信回線を開かせることとなりました。全回線が開いているので、彼ら2人の対話はリアルタイムでネビュロ中の知るところとなります。
 今巻の紙幅の実に8割近くが費やされている、この対話の逐一を追うことはしませんが、一言で云うと、アリスが一貫してとった態度は、シャウラ達を名前も顔もある人間として扱う、というものでした。その根本には、こんな考え方があります。すなわち、このテロは“帝国”内に生じた戦災の一環にして、犯罪であり、将来の戦災予防に努めなければならない。この前提に立って正論を説き、人質を取ったテロリスト達に対して3つの要求すら提示し、“機能としての正義”を執行しようとするアリスに、趨勢を見守る(聞き守る?)帝国人達やシャウラ達のように、自分も空恐ろしいものを感じました。
 アリスが対話している間に、情報部長と情報2課長ラインベルカは「卑怯な戦い」のため、こっそりと人質が取られている“言語の塔”に赴いているのですが、狡いはずの彼らの方にはまだ安心できます。狡くて安心と云うと変ですが、軍人ならばやって当然と思える、と云いますか。
 対して、アリスのやっていることには安心できません。この対話にはアンチ・アレスとの交渉という側面も潜在しているので、当然それが破綻しそう、という意味でも心配ではあります。しかし、それ以上に大きいのは、あまりにも“公平性に偏った”彼女のスタンスに、生身の人間としての感情が保たないのではないか、という危惧の方です。

 相手に個人であることを要求し、同じく個人として公平な正義を為そうとする彼女は、それがために個人としての幸せを捨てざるを得ません。家族よりも社会をとった少女というイメージに、自分は『風の谷のナウシカ』の主人公ナウシカを思い出します。
 その昔、「ジブリ作品のヒロインのうち、最も結婚に適性がありそうなのは誰か」という話題で友人たちと盛り上がったことがありますが、自分たちの考えによれば、ナウシカは最下位だったと記憶しています。家政よりも国政こそ彼女の本懐だろう、というのがその理由でした。アリスもきっと、そういうタイプの人間ではないか、人々の最大多数の最大幸福のために、自分の人生を捨て去ってしまえる人なのではないか、と思います。

 しかし、それで本人が本当に大丈夫かというと、それはまた別の話。傍聴している黒幕の一角にしてアリスの許嫁でもあるレオニールは、アリスを「強者」と云って嬉しがっていますが、アリスにとっても正義を完遂しようとすることはダメージの大きいことだったに違いありません。ひび割れた描写となりながらも対話を続けるアリスに、次第にシャウラも敬意を表していきます。
 そんなものはない、あるいはなくなったと思っていた「正義」というものがある。本当にあるのか。あるとしたら、どこに本当の正義はあるのか。2人の話題はそこに移っていきます。
 「一つの正義」はある。さらにその上方に、「絶対の正義」がある。そう云うアリスの論を支えているのは、儀典局の三等武官として戦った(17巻)ハーケンマイヤーです。弱者を守って単身でアンチ・アレスと戦い続けた彼女は、紛れもなく「一つの正義」を為したと云えるでしょう。
 そうした正義のさらに上、「絶対の正義」という理想を追い求めることを諦めたくない彼女が口にしたのは、「アリス・L・マルヴィンの正義」。血肉の通った正義を求めるのなら、名乗らざるを得ない、ということでしょう。が、これもまた、常人にはできない芸当です。

あのコピーには痺れました。。

 今巻の帯には「英雄が生まれ、彼女は死にゆく。」とあります。なんとなく「東京が死んで、僕が生まれた(『真・女神転生3』)」を思い出すコピーですが、ここ数巻の経緯を見るに、私人としてのアリスが死に、正義を体現する英雄が生まれつつある、ということを顕したものでしょう。なんという捨て身、なんという愚行、なんという純粋さと云うべきでしょうか。
 ついでに云うと、たくさんある正義の残骸を“山のように積んで”やがて「絶対の正義」に至る、というイメージモデルは、14巻でカウプランと技術の伸展について述べたあたりでも提示されていたかと思います。技術の進歩、理念の進歩によって人類が上昇していくことに対する希望と怯えを描くことが、この漫画の1つの狙いなのでしょう。

 さて、アリスはついに、自らの名を冠する正義を、絶対の正義に至る叩き台としてネビュロ中に開示しました。シャウラも認める他ありません。が、それでも自分の本名を名乗るのを拒みます。自分はもうシャウラだと、後戻りのできないところに居るのだ、ということかと思います。
 これで果たして、アリスの言葉はアンチ・アレスを説得できたのか(そもそも説得だったのか)。これ以上対話することもない、一時だけ弛緩した空気の中、「仕返し(お礼)」だとシャウラが無線を繋いだ先から流れてきたのは、ランデルの声でした。
 ランデルが発した言葉は、先の正義論議とはまた違った形のどよめきを聞く者に催させました。ネビュロ中に放送されているただ中での“告白”に、流石にアリスも戸惑いを顕わにすることに(あんまり乙女らしくないリアクションですけど…)。
 しかし、ランデルは大マジでした。自分が犯した殺人への裁きから逃げようとして、しかしその物的証拠である武器やランタンを手放さないランデルが、失ってしまっていたと思っていた自分の意思。それを取り戻せたと語り、声をかけられて良かったというランデルに、色々といっぱいいっぱいではあるものの、アリスは落涙します。
 ランデルの論法はこうです。ランタンを点けて自分の意識が自分のものと云えない状態で人を殺し、これからも殺すかもしれない。殺人についてだけ考える思考の回路が強化される仕組みになっているから。けれど、ならばアリスを愛していると考えることは、その殺すことばかり考えている自分にはできないこと、正真正銘の自分の自由意思によるものではないだろうか、と。
 彼の思いは、その考えに至った彼の父親との記憶に連なっていき――今巻の本編は幕。自分と3課の面々が培ってきた絆、そしてランデルに対する特別な感情を意識するアリスのモノローグを描いた巻末の「Interval」を経て、物語は次なる22巻に続きます。

 次巻の刊行は今年の秋から冬くらいでしょうか。兵器や科学技術、社会思想的な言葉の奔流を回想しつつ、楽しみに待ちたいと思います。

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