【一会】『Pumpkin Scissors 19』……“人間”との戦いを、嘲笑うな
2018/07/21
“帝国”とフロスト共和国の戦争による大小の「戦災」からの復興を担うとして設置された、帝国陸軍情報部第3課、通称「パンプキン・シザーズ」。そのメンバーの活躍を描くこの漫画ですが、前巻からおよそ10か月をおいての19巻刊行となりました。
前巻に引き続き描かれているのは、帝国に怨恨を抱く者たちの組織“抗・帝国軍(アンチ・アレス)”が巻き起こしたテロと、それに対する“帝国”の対応。“帝国”で開催された西方諸国連盟(ネヴュロ)合同会議の会期中という狙いすましたタイミングの、しかも電信など新たな技術を取り入れた蜂起に“帝国”側は浮足立ち、“ゼロ番地区”のアウトローたちの助力で辛うじて市街戦を戦っているような有様です。第3課の面々や多くの心ある者たちの活躍で、一時の絶望的な状況からは脱しつつある感はあるものの、依然として劣勢が続きます。
それぞれの対装甲車戦
劣勢の大きな原因は、“抗・帝国軍”が投入してきた高機動の装甲車“グラフィアス”。しかもその数じつに8輌と、戦いは既に単なる対テロ戦の範疇に収まらない規模になっています。既に前巻(【一会】『Pumpkin Scissors 18』……絶望に瀕しながらも動く人間と、死人を造る死人)ラストで、第3課の一員(というか主人公の1人)にして元は特殊部隊「不可視の9番(インビジブル・ナイン)」901ATTのランデル・オーランド伍長が紅蓮の炎をもって1輌を撃破していますが、数的にも質的にも“帝国”の装甲車とは比べ物にならないため、残りの7輌を沈黙させるためには策が不可欠と思われます。
ランデルだけでなく、今巻では同じく第三課所属のもう1人の主人公(むしろこちらが正主人公ですね)アリス・L・マルヴィン少尉と、飄々とした印象ながら切れ者のオレルド准尉も、任務を全うするため、それぞれ対装甲車を相手に戦うことに。このアリス、オレルドそれぞれの対装甲車戦が、今巻の山場と云えるでしょう。アリスの甲冑“白薔薇”やオレルドの作戦など、細部まで解説された濃厚なバトルは前巻のランデルのどす黒い戦いにも劣らず読み応えがあります。
戦(いくさ)と戦争
作中でも云われていることですが、アリスやオレルドがいずれも“抗・帝国軍”を人間として見ているということに注意を引かれます。アリスは勝負に臨む武人として、オレルドは裏をかくために、と発想の根本は正反対ですが、相手を“すごい装甲車”ではなく、“そこに乗り込んでいる“抗・帝国軍”の人員”と認識しているところは同じでしょう。
近代以前の戦(いくさ)からそれ以降の戦争に移り変わる時に起こったことの1つに、名乗りあった個人対個人の勝負から、引き金を引けばそれだけで対象を殺傷できるものに様変わりしたという、“記名性の変化”とでも云えそうなものがあると自分は思います。その変化を踏まえると、第3課のこうした戦い方は時代に逆行しているようにも見えますね。
しかし考えてみれば、以前からこの漫画の云っている「戦災からの復興」とは、そういう戦争によって失われた個人の事情とか感情を慮る、ということでもあるんじゃないか、と。““抗・帝国軍”が倒すべき者”として凛然と対峙し、極限状況下での彼らの行為を嘲笑しないことでその尊厳を守るというアリスの戦いは、まさしく個人を慮った1つの戦災復興に思え、少し胸が熱くなりました(とはいえ、敵を憎まず力を振るうこの戦い方は、アリスですらしんどさを覚えるもののようでもありますが)。戦災復興部隊の活躍を描くにあたって、その舞台が中世から近代へと変遷しようとしている時代に設定されたのは、この辺りに理由があるのだと思います。
文明進展への怯え
上述のような戦争に限らず、技術の進歩というのは人間の考え方や感じ方まで変えてしまいます。情報部部長のケルビム中佐が、作中小説『電信世界(ジャガンナート)』を引き合いに「“手紙しかなかった世界”の滅び」と表現して、文明が進展していくことに対する怯えを語っていますが、ちょっと分かる気がします。
しかし、それでもテロ鎮圧のため、“帝国”は、文明を進展させる可能性が高い“切り札”を切ります。果たしてそれは――というところで今巻は終幕。“切り札”の実態とか、アリスの義兄に当たるミハエルの亀甲とか、かつて憲兵特佐だったハンクスの尋問の恐ろしさとか、ランデルの捨て身の戦いの結末とか、気になることは色々とありますが、そのうち幾つかは次巻で語られることでしょう。
次巻刊行も恐らく1年近く先になると予想されます。既刊を再読して情報を整理しつつ、楽しみに待ちたいと思います。