【一会】『月光条例 29(完)』……そして、物語は円環する
2018/07/20
「ヒジョーにメイワクな話をしよう」から始まった、おとぎ話(というか全ての物語)を巻き込んだ、ある意味で傲岸不遜、ある意味では史上最後の物語『月光条例』も、遂に語り終えられる時が来ました。最終巻だけに、頭の中を整理してから書きたいことも色々ありますが、あまり時間をおくのも何なので、ひとまず書いてしまいます。
もう今巻は、一言で云えばラストバトルで大団円です。天童が明かす月光との荒っぽい友情の始まりなんてエピソードも挟まれますが、やはり主役は月光とエンゲキブでしょう。
『うしおととら』(100夜100漫第64夜)の潮ととら、『からくりサーカス』の(100夜100漫第27夜)勝と鳴海と、主役たちの“コンビであること”が強調されるのが藤田漫画のラストバトルの特徴ですが、今回はそれが月光とエンゲキブによって担われます。
エンゲキブが月光と一緒に命を懸けようとするシーンを読みながら自分の脳裏に唐突に思い出されたのが、TYPE-MOONのビジュアルノベルゲームとして出発し、今秋2度目のアニメ化が決まっている『Fate/stay night』の主題歌「disillusion」の「誰かの為に生きて/この一瞬(とき)が全てでいいでしょう」という一節でした。不死という永い時を独り歩いてきた彼女の命が、本当の意味で燃え上がった一瞬だったと思います。
それに先だって、戦いの場では長らく月光とコンビを組んできたハチカヅキの「きっと…/お勝ち下さいまし」という言葉と、初めて描かれたその眼差しもまた、読者の心を震わせます。彼女もまた、最後まで使命を貫いた誇り高い条例執行者です。
一方で、敵役のオオイミ王も、敵という意味以上に重要な役割を果たします。
自らを物語の主人公に位置付け、有名な物語の必殺技を連呼しながら月光に畳みかける彼ですが、その奥底には複雑な感情が澱んでいました。ある意味でその澱みこそが、月光を救うよすがになった、と云うこともできるでしょう。
そんなオオイミ王との戦いは、勧善懲悪ではなく、ヒーローもデクノボーもない、ある意味では中途半端な形で終局します。『からくりサーカス』でもそうでしたが、ラスボスに“勝つ”とはどういうことか、改めてそれを考える幕切れと云えるでしょう。
少し寂しげに、エピローグは始まります。それでも、トショイインはもちろん、作者たる藤田和日郎先生も、読者たる自分もやっぱり、物語はハッピーエンドが良いのです。実在する『青い鳥』の続編『チルチルの青春』も引っ張り出した上でのウルトラC。ここに『月光条例』は、めでたくも円環します。
この力技にはきっと、この漫画全体に対するように賛否両論あるでしょう。自分はやっぱり、よかったと感じました。子どもの頃、好きなアニメの最終話を観た後、とても寂しい思いをしたものでしたが、もしかしたら藤田先生の頭の中にも、そういうことがあったのかもしれません。月光もエンゲキブも、彼らの日々は終わりません。
そして、スタッフロールと「あとがき」の更に後に添えられたほんの6ページの断片。これがまた、しっとりとした希望を感じさせてくれます。
エンゲキブが云ったような神様(か、あるいは他の超次元な存在でもいいけれど)が我々の“読み手”として存在するとしても、そのためにしっかりしようとは、いい大人で捻くれ者の自分は思いません。しかし、自分が納得のいくようには生きないとな、とは思います。それが結果として、居るかもしれない我々の“読み手”を喜ばせるというのなら、まあそれでもいいかな、とも思います。
6年間、公私ともに色々あったことを(もちろん自分に限った話じゃないですが)思い出しつつ、最後にそんなことを考えて本を閉じました。
藤田先生、お疲れ様でした。また月の綺麗な夜に、再び頁を繰って月光やエンゲキブたちに再会したいと思います。