【一会】『新世紀エヴァンゲリオン 14(完)』……たなごころを、きみに
2018/07/21
超が付くメジャー作品の漫画版で、自分がここで語ることなどもはや無いようにも思うけれど、やっぱり直撃世代として、語りたいので語ります。『新世紀エヴァンゲリオン』、その漫画版の最終巻となる14巻です。
ちなみに通常版の発売はまだちょっと先(26日)です。自分は限定版(20日発売)を入手して読みました。
時に西暦2014年。かつて引き起こされた未曾有の大災害セカンドインパクト、天使の名を冠された正体不明の巨大生物(?)“使徒”、その使徒と戦うために武装された第三新東京市、対使徒のための特務機関ネルフ、汎用人型決戦兵器エヴァンゲリオン、そして、エヴァ搭乗者であり、もはや人類の採決者となった14歳の少年、碇シンジ(いかり・――)が辿る軌跡も、漫画版においてはこれにて終局です。
カオスで絶望感が溢れていた前巻に続き、人類補完計画が発動した今巻冒頭でも終末を感じさせるシーンが続きます。が、それらが過ぎ去った中盤以降、そこには降り積む雪のような静かな展開が。
基本的な物語は、映像版と大きくは異ならないと云っていいでしょう。ただ、漫画版の真骨頂は、そこに差し挟まれるちょっとしたシーン、何気ないひと言、微かな表情、刹那の心情です。今巻においても、そうした作者の心遣いは変わらずに駆使されています。自分は映像版が多少消化不良だと感じていますが、そうした部分についても、比較的すんなりと味わえるのではないでしょうか。
そんな今巻、最も自分の心に残ったのは、やはり補完計画発動後のシンジと綾波レイ(あやなみ・――)との会話でした。握った拳と、開いた掌(たなごころ)の対比は、『からくりサーカス』(100夜100漫第27夜)『月光条例』などの藤田和日郎先生による短編「掌の歌」(短編集『夜の歌』収録)でも効果的に用いられていましたが、ここでも人と関わることの両義性を端的に示すモチーフとして用いられています。直球ですが、それだけに、心に残る名場面でしょう。漫画版として付け加えられたレイの言葉・モノローグも、SF作品としてのこの漫画の幕切れに相応しい響きを沿えています。
エピローグで描かれた世界の姿に、個々の読者がどんな感想を抱くかは自分には分かりません。ただ、永い夏の終わりをついに見た気がして、自分にとっては、喪失感がありつつも心の晴れるものでした。
『エヴァンゲリオン』がどんな話かを人に語る時、色々な云い方ができると思います。ただ、少なくとも漫画版においては、「近未来を舞台にしたSF/オカルティックなロボットものという枠組みの中で、14歳の素朴な少年の心理と成長を描き切った作品」と、自分は説明したいなと思います。
最後にEXTRA STAGEとして書き下ろされた「夏色のエデン」は、1998年の京都を舞台にした作品。さりげなく衝撃的な情報が明かされていますが、これは恐らく今後の新劇場版へのステップとなるものでしょう。
最後に付された英語によるメッセージやカバー袖の作者コメントを裏読みすると、近い未来にまた貞本先生の作品を読めそうな気もしますが、それが完全新作にせよ、あるいは新劇場版エヴァ関係のものにせよ、こちらもその時を楽しみに待ちたいと思います。貞本先生、およそ20年間もの長丁場、お疲れ様でした。