第177夜 磁気仕掛けな少女の憧憬と、少年たちの惑い…『電影少女』
2018/07/23
「ちょっ/ちょっと/キミはなに者なのかちゃんと説明してよ!」「ん/「ビデオガール」だってば/キミをなぐさめるために出てきたの/ビデオの中でもそう言ったろ」「そーいうことじゃなくてさ」「いいじゃね――か/どういう事だって/こまかいんだよおまえ!」
『電影少女』桂正和 作、集英社『週刊少年ジャンプ』&『週刊少年ジャンプ Winter Special』掲載(1988年12月~1991年12月)
高校1年生の弄内洋太(もてうち・ようた)は、同級生の正統派美少女、早川もえみ(はやかわ・――)に密かな恋心を抱いていた。色恋沙汰に疎い彼は、マニュアル本を頼りにアプローチを試みるがどうも上手くいかない。
しかも、もえみは洋太の親友である新舞貴志(にいまい・たかし)に恋心を抱いていた。他人に感情移入し過ぎる洋太は、自分よりももえみの恋に心を痛めるが、何にせよ失恋したのだった。
そんな洋太は、ふと不思議なビデオショップ「GOKURAKU」を見つけ、奇妙なビデオテープをレンタルする。家に帰って再生してみると、画面からは1人の女の子が飛び出してきた。
再生時のトラブルで男前な性格になってしまった彼女の名は天野あい(あまの・――)。洋太を慰めるためにテープの再生時間である3か月のあいだ傍にいる“ビデオガール”だという。
半ば訝しみながらも、洋太はあいと同居することに。しかし、洋太の恋を応援するはずのあいは、いつしか洋太に惹かれていく。
洋太は後輩の仁崎伸子(にざき・のぶこ)と付き合い始めるものの、もえみ、あいへの未練を断ち切ることができない。ことあるごとに他方への思いの再燃する洋太は、自分の本当の気持ちを見つめることができるのだろうか。
一方、「GOKURAKU」上層部は、人間に恋するあいを欠陥ビデオガールと認識、行動を開始するのだった。あいの運命は、そして洋太の恋の行方は――?
繋がりにくかった時代
ビデオテープというと、最早ある程度の年齢以下の方はあまり実物について知らないかもしれない。「呪いのビデオ」で一世を風靡した『リング』シリーズの主人公(?)貞子は、近年の作品では動画サイトなどに対応し辛うじて事なきを得たようだけれど、磁気テープが持っていた情緒は無くなってしまったようにも思う。
80年代の終わりに連載が開始されたこの漫画においても、ビデオテープは重要な小道具だ。あい達ビデオガールは貞子よろしくテレビ画面から必要とする人のもとへやってきて、恐怖や混乱ではなく甘酸っぱくもほろ苦い日々を視聴者にもたらすことになる。
今現在この漫画を読むにあたり、ビデオを始めとする機器類に、やはり時代を感じるのは確かだ。特に大きいのが携帯電話がまだ存在しないことだろう。現在であれば、メールやLINEで氷塊するだろう行き違いが、少年少女たちの関係を存分に攪乱してくれる。
ただ、いささか説教臭い語調になることを覚悟で敢えて云えば、携帯電話が普及する1999年辺りまでは、それが当たり前だったのだ。簡単に連絡が取れないからこそ、待ち合わせの日時と場所は綿密に決め、必ずその時間に間に合うよう出発する、といういことを、自分も高校生くらいまでは普通に行っていたことを思い出す。
洋太やあい、もえみたちのモノローグには、「“○○君はこう考えている”と彼女は考えているのかもしれない」というようなある意味で考え過ぎな独白が散見される。もしかしたらそれは、今に比べて通信機器が未発達だった当時の若者に特有な性質だったのかもしれない。
リアリズムと神の視点
携帯電話のない一昔前を舞台とし、“尻とショーツを描かせたら日本一”との触れ込みもある美麗にしてエロティックな作画に、「ビデオガール」というSF的要素を持ち合わせながら展開される恋愛模様は、それでも陳腐という形容を当てはめるのにためらわれる。その完成度の高さは作者自身の云う徹底したリアル路線に因るものだだろう。
物語の舞台ひとつ取っても、「都内のどこか」ではなく吉祥寺や三鷹、武蔵境という明確なロケーションが提示されているし、人物達の対話やモノローグには、多くのラブコメ漫画が回避しようと企てる(そして現実の人間ならば必ず湧き出てくるような)ネガティブな感情が全面に押し出されてくる。
しかも、登場人物の誰の心の内も描写し得る、いわゆる“神の視点”によるナレーションが、洋太、あい、もえみといった人物たちの内面を克明に描き出す。洋太の主観で描かれていれば、こうした作劇は不可能だろう(実際、コミックスのラスト2巻分は後日譚的なエピソードで構成されているが、そこには主人公主観による描かれ方がされているため、それ以外の人物の心境をうかがい知ることは困難である)。
このようなリアリズムと神の視点の導入こそが、この漫画の緊張感と、その果てに待つ清々しさを裏打ちしていることは確かだろう。『モテキ』(第123夜)や『プラネテス』(第62夜)よりももっと未熟な彼ら彼女らの惑いと苦しさを、好むと好まざるとに関わらず存分に味わえ(てしまえ)る秀作だ。
*書誌情報*
☆通常版…新書判(17.4 x 11.4cm)、全15巻。絶版。
☆愛蔵版…四六判(19.6 x 13.4cm)、全9巻。絶版。
☆文庫版…文庫判(15.2 x 10.6cm)、全9巻。電子書籍化済み。