【一会】『アップルシードα 1』……ヘタった世界、の2人、の交錯と乖離
2018/07/21
刊行から2週間ほど空きましたが、ようやく読めたので書きます。
『攻殻機動隊』と並ぶ士郎正宗の代表作で、未完で凍結されている『アップルシード』のリブート(新たに一から語られ直し)版を、『茄子』(100夜100漫第1夜)の黒田硫黄先生が描くという離れ業な漫画『アップルシードα』の第1巻です。原作の前日譚に当たる時間軸という点は、刊行と同時に公開された同名のフルCG映画とは共通していますが、物語の中身は結構違うようです(映画の方は未視聴)。
202X年の世界は第5次非核戦争など一連の戦争で荒廃。そんな世界で、元SWATで高い捜索・戦闘能力をもつデュナン・ナッツと、全身サイボーグ化した彼女の恋人ブリアレオスはNY(ニューヨーク)にたどり着く――。
というのが物語の発端の要約ですが、漫画はいきなりNY市長のサイボーグ双角(この名前のサイボーグは原作でも結構なキャラクターとして登場しています)が大音声でがなるところから始まります。この唐突感はまさしく黒田硫黄ですね。
そんな冒頭部に限らず、全体として黒田硫黄作品としてのニュアンスは強いです。何よりまず画がそうです。前述の『茄子』にはインドを舞台にしたエピソードがあるんですが、その話での画を思い出すような筆(か、あるいはマジックの類?)による作画は、大戦争によって破壊され疲弊した世界の表現としてマッチしています。原作で描かれた人工都市オリュンポスには、多くの人種(に加えサイボーグやバイオロイドも)が暮らしているが故の乱雑さはありましたが、基本的には秩序への指向があって、暮らす人々も健全なイメージでした。対してこの漫画に描かれたNYからは、オリュンポス以外の都市とそこで暮らす人々の、むき出しの倦怠感とカオスが感じられます。
こうした画法による陰影の凄味も手伝って、デュナンとブリアレオス(=人間とサイボーグ)という大きなテーマが際立ちます。
原作よりも多少アバウトな性格に感じられる(それは、画はもちろん台詞のセンスにもよるのでしょう)彼女と彼ですが、にもかかわらず“異なる存在”としての2人が醸し出す空気はけっこうセンシティブ。こういうシビアさは原作には無かったように思います。原作が“余所行き”の2人なら、この漫画は“素顔の”2人と云えるかもしれません。
ともあれ、スタイリッシュと野暮ったさが絶妙に混合した黒田版デュナンとブリアレオスの物語は続きます。次巻はだいたい半年後と予測されます。原作と本作と読み返しつつ、待ちたいと思います。