【一会】『少女終末旅行 5』……最上層、その手前の追憶
2018/08/01
沈黙が支配する終末間近な未来世界を、履帯式牽引車両ケッテンクラートで旅する2人の少女、黒髪黒瞳・しっかり者のちーちゃん(チト)と金髪碧眼マイペースなユー(ユーリ)。2人の、呑気さと悲壮さの絶妙な混淆に哲学的な問いを散りばめた旅を描いたつくみず氏『少女終末旅行』の、最終巻である6巻が刊行されたのは今年3月です。すぐにも最終巻まで読み通したいところですが、まずは順序通り、昨夏に刊行された5巻について書こうと思います。
前巻ラストで、地球の終わりが避けられないことを知ったチトとユーリ。2人の終末世界巡りも、大詰めになってきた感があります。行く手に待つものは何かを気にしつつも、とりあえず吞気な空気で旅は続きます。
「黒い建物」(朽ちた原子力潜水艦)の中には食糧が豊富にあったようで、とりあえず2人の命脈は尽きずにすみそう。水が乏しいみたいですが、周囲の氷を溶かそうというユー案はやめておいたほうがいいですね。とりあえず水路も見つけたし、何とかなるでしょう。
水路沿いでキャンプして摂る2人の夕食は、魚の缶詰を熱したもの。美味しくて思わず笑みがこぼれる2人が微笑ましいですが、逆に云えば普段はもっと味気ないものを食べているということですね。ローマ字の知識すら伝達されていない世界では、思った以上に色々なものが欠乏しているに違いありません。
足場が不安定な箇所でチトが怪我をしたものの、ユーの無鉄砲な(!)機転で切り抜け、2人を乗せたケッテンクラートは先へと進みます。当座の目的地は、西にある都市の昇降機。これに乗れば「最上層の手前まで行ける」と、前巻で出会った謎の存在たちが教えてくれました。
そんな彼女たちの行く手に現れたのは、またも大きな建造物でした。漢字が読めないであろう彼女たちと違って、読める読者はこの建物の表示を理解できます。「複製美術史博物館」。館内に遺された彫刻や絵画は、オリジナルではなくて複製物ということでしょうか。
写真を知らなかった2人は、やはり絵も知らない様子。写真に対し、絵画には描く人の感情を乗せることができるというユーの考察は的確だと思いますが、館内にあった超大型の絵画が気になります。
どことなくピカソの「ゲルニカ」を思わせるその絵は多分、この世界が終末を迎えようとしているその原因を、描き手の感情を込めて描いたものなのでしょう。
私たちが絵を見て感じたことが ホントに昔の人が感じたことなのかな
(p.59)とチトは懐疑的ですが、割と伝わる(というか、伝わるものが古典となって残り続ける)んじゃないかな、と自分は思います。人類最初の絵(のレプリカ)の横に、人類最後の絵になるかもしれないユーの作品を飾って、2人の旅は続きます。
ほどなくチトの怪我は回復。時間経過で治るというのは有り難いものです。
しかし、着ている服はそうもいかず。作中ではあまり描かれていませんが、2人が乗っているケッテンクラートも、旅路のあれこれによってダメージを負っていることでしょう(2巻で一度故障してますし)。そして、2人が旅するこの世界自体も、深い傷を負って、治る見込みは薄いと云わざるを得ません。
水が噴き出している場所を見つけて洗濯(と水浴び)しつつ、見つけた大量のカーテンで作った即席の服は、ユーが指摘した通り古代の服装を彷彿させます。移動しながら食べ物を探し、服を作ったりして暮らす2人の生活は、確かに古代人と似通っているようにも思います。次の話以降、2人はいつもの服装に戻っていますが、このカーテン服は荷物に加わっているのかな、とちょっと思ったり。
続いて、「死んだらどうなる」という話をしながら行き着いたのは、枯れ果てた農作物プラントのような施設。そこで見つけた煙草(らしきもの)を、1巻で会った「カナザワも吸ってた」と2人は吸ってみることにします。
2人の経験した光景の不思議さに、本当にただの煙草だったのか気になるところですが、幻惑作用が2人の想像力に翼を与えた、という感じなのでしょうか。そういえば、現実世界ももうすぐお盆。お盆の迎え火や、メキシコの「死者の日」での蝋燭などが示すように、灯る火には死者を呼び出す力があるのかもしれません。
そして辿りついた、西の都市の昇降機を擁する巨大な塔。入口を確保するため、久々に(初めて?)銃手としてのユーの力量が示されたりもしますが、ともあれ塔の中に入った2人を迎えるのは、生き物のような機械のようなホログラムでした。朽ちた原潜の上で出会い、ヌコを連れて行った者たち(4巻)に、少し似ています。
ずっと1人だったというホログラム(仮)に案内され、2人は目的の昇降機に。動いているようで、期待通り最上層手前まで行くことができるようです。
しかし、その代わりとしてホログラム(仮)が2人に願ったのは、いささかショッキングなことでした。読者の視点からすれば、ある程度は予想できたものではありますが、2人きりで長く旅をしてきたチトとユーリには辛いものではなかったかと思います。
「社会の利害とは無関係な場所にいるという点で旅人と神は似ています」(p.131)。神様が神頼みしたくなった時、縋る対象は旅人しか居なかったということでしょうか。2人に礼を云うホログラム(仮)の姿は、「複製美術史博物館」のゲルニカっぽい絵とよく似ていた気がします。
動き出す昇降機に揺られながら、チトのみた夢という形で語られるのは、ずっとふわっとしたままだった2人の来歴。今よりもう少し幼い様子で描かれる2人には、帰る家もあったし、共に暮らす人もありました(3巻で、ほんの少しだけ「おじいさん」についての言及はありましたね)。そんな2人が旅に出た――出ざるを得なくなった理由は、お定まりといえばお定まりのものでした。
人間は忘れる生き物だが…そのために知識の積み重ねがあると言うのに/それでも繰り返してしまうんだろうか
(p.149)。2人に知識と装備を与え、送り出してくれた人の言葉が刺さります。
基本的に記憶するチトと忘却するユーというコンビではありますが、忘れたくないものがあるという点では、2人の考えは一致しているようです。二度と会わない人や、戻れない場所に対する感情を「懐かしさ」だと感得し、2人の旅は続きます。
最上層までもう少し。というところで今回の旅は終わり。続く最終巻、6巻に読み進めることとします。