100夜100漫

漫画の感想やレビュー、随想などをつづる夜

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【一会】『蟲師 特別編 日蝕む翳』……再会と、満ち欠けへの祈り

      2018/07/20

蟲師 特別篇 日蝕む翳 (KCデラックス)

 桜も終わって、そろそろ緑が眩しい季節になりました。
 この季節に合わせたかのような濃緑が目に染みる表紙で現れた本書『蟲師 特別篇 日蝕む翳』。以前100夜100漫で扱った『蟲師』(第114夜)の続編、というか新エピソードが描かれています。昨年末に『アフタヌーン』で前後編で掲載され、直後にアニメ化もされた一篇ですが、凝った装丁がされ、あとがき漫画が付くとまた趣き深いものですな。

 旧作をご存知の方にはおなじみの「動物と植物の狭間の存在」「命の原生体」「神と妖とが分化する以前のモノ」である蟲と、人間の心にわだかまった思いによって物語が展開されるわけだけど、副題の「日(ひ)蝕(は)む翳(かげ)」という言葉の通り、モチーフとして皆既日食が用いられています。
 物語の中心となるのはヒヨリとヒナタという双子の少女。対になった2人の想いあいというのはもはやオーソドックスかもしれないけれど、しんとした里山の中でのそれぞれの独白は、その舞台の幻想性ともあいまって心に響きます。
 それにしても、旧作の頃から思っていましたが、この漫画に出てくるゲストキャラクター(特に女性)の命名は、とてもいい。「すい」とか「たがね」とか「みお」とか、そのエピソードのモチーフを掘り下げながらも、古語的な意味も大切にしつつ素朴で女性らしい名前を考えるのは、なかなか難しいんじゃないでしょうか。

 それと、日食について少し。日食は陰陽の考えと容易に結びつくだけに、伝奇ものでは割と語られることの多いモチーフかと思います。そういえば藤田和日郎『うしおととら』(100夜100漫第64夜)にも「ECLIPSE」という外伝がありました(画集と文庫版にしか収録されていません)。『蟲師』はなんとなく“陰”な話が多い気がしていたけれど、今回は『蟲師』らしさの中にも“陽”の朗らかさというか、そんなものを感じて、これは作者の環境の変化によるものかな、などと邪推してみたくなったり。
 あとがき漫画でも触れられていることですが、皆が一様に空を見上げる姿は、確かにどこか祈りの姿に似ています。それを信じて空を見続ける人々の胸には、宗教という概念以前の原初的な畏怖の念があるんじゃないでしょうか。
 それはともあれ、化野(あだしの)先生や、淡幽お嬢さんとおたま婆さんといった準レギュラーな面々も変わらぬ姿を見せてくれて、主人公ギンコのように『蟲師』という漫画そのものが、ひょっこりと帰ってきたような嬉しさです。ギンコの旅は終わるはずもありませんが、いつかまた彼の旅の続きと、彼にまつわる人々のその後を読めたら、と今から楽しみにしています。

 - 一画一会, 随意散漫 , ,

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