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【一会】『いぬやしき 10(完)』……老いたる元・霊長類の生命への賛歌

      2018/09/10

いぬやしき(10) (イブニングKC)

 ふとした切っ掛けで(といっても、いま思えばそれも何か1つの運命だったのかもしれませんが)、人知を超えたアンドロイドとなった老人と青年。それからの、相反するかのような2人の生き様を提示してきた奥浩哉氏『いぬやしき』の、最終巻となった10巻を読みました。
 今巻の刊行は昨年9月。原作完結後にはアニメ化もありましたし、映画化もされました。その流れも一段落し、遅れに遅れた感じではありますが、読んだ感想など書きたいと思います。

 誤解を怖れず云えば、実のところ今巻には、語るべきことはそれほど無いように思えます。犬屋敷壱郎(いぬやしき・いちろう)は、迫り来る巨大隕石を辛くも粉砕し、世界を救いました。煎じ詰めてしまえば、その一言に尽きてしまいそうです。
 もちろん、そこには幾つかのドラマがあります。壱郎と対を成す存在である獅子神皓(ししがみ・ひろ)も、そのドラマと無縁ではありません。しかし、そうしたプロセスの委細を語るのは、終了後1年を経た今をもっても無粋に感じられます。ですので、ここでは読みながら思ったことを2つだけ、語るに留めたいと思います。

ヒーローの悲哀

 皓の幼馴染みであり、壱郎の協力者となった高校生・安堂直行(あんどう・なおゆき)は、壱郎のことを幾度か「ヒーロー」という言葉で表現しています。物語の展開をみる限りその通りですし、9巻巻末の次巻予告や今巻巻末のアニメ告知などでも「老人英雄譚」という言葉が使われていることから、壱郎が本作におけるヒーローであることを否定する読者は少ないでしょう。
 これに対して、壱郎と時を同じくしてサイボーグとなり、その若さからか壱郎以上に能力を使いこなしてみせた皓は、強烈な悪者として描かれています。この両者――ヒーローと悪者の直接対決が最終巻のクライマックスになるだろう、というのが、物語の当初いだいた、自分のぼんやりとした予想です。しかし、実際の展開はそう単純ではなく、物語は勧善懲悪的な枠組みからは脱却していきました。
 では何が描かれようとしていたのか。その自問に自答すると、それは「ヒーロー」というものの悲哀ではなかったか、ということになりそうです。
 普通の人に無い力を持った者が、称賛されたり慕われたりする一方で、畏怖されたり疎まれたりもするということは、物語でも現実でも、よくあることだと思います。皓はもちろん、壱郎もまた、そういう存在であることは疑いないでしょう。
 今巻クライマックスの展開が、もしもああいった形でなければ、皓はどうなったか。その破滅を割と簡単にイメージできそうですが、壱郎も、最終的には皓と同じ道を辿ったのではないかという疑いを、自分は捨てきることができません。
 そうだとすれば、ヒーローであるはずの壱郎も、人知を超えたサイボーグになったあの瞬間、既にその結末が確定していたということになります。全く自らの意思によらずヒーローとなった家族を愛する初老の男性の、それは悲劇に他ならないと思います。

58歳が口にする「運命」

 ただ、そうした悲しみに遭いながらも、壱郎は悲嘆に暮れるばかりではなかったように思います。「やっぱり……これが……運命なんだ」(10巻p.129)という彼の呟きは、もちろん諦念によるものに違いありませんが、その奥底には自分の定めを受け容れた者の、意思の強さがあると云えないでしょうか。
 それは“覚悟の強さ”というものにも言い換えられるのかもしれません。この類の強さとは、例えば17歳の少年には出せなかったものではないか、と思います。
 もちろん、「これが運命なんだ」と少年が云うことは可能ですし、若い身で覚悟を決めて困難に立ち向かう姿もまた感動的です。しかし、歩んできた人生の総量という点からすれば、58歳の方に分があるでしょう。積み上げてきた喜怒哀楽さまざまな記憶の上に立って「これが運命なんだ」と言葉にするとき、それまで彼が触れてきた命の分だけ、えもいわれぬ重みが漂うように思います。
 ところで余談ですが、もしも自分が壱郎のような存在になったとして、突然サイボーグになるという不条理に耐え、さらに地球規模の困難への対処を自分の運命として引き受けることができるかと、考えてみました。
 本当のところは、いざそうなってみなければ分かりませんが、やっぱり自分は壱郎のように受容することはできなさそうです。たぶん自分をサイボーグにした地球外の彼らに、どうにかコンタクトを取ろうとするのではないかな、と思います。我ながら度量が小さい気がしますが、致し方なし、ですね。

 さて、これにて本作『いぬやしき』は完結。奥先生、お疲れ様でした。
 先生の次の連載『GIGANT』が既に始まっており、5月末に第1巻が刊行されていますので、再会は果たされていると云うべきでしょう。引き続き、写実的・美麗な作画とシネマティックな物語で、読者を魅了されていくことと思います。

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