漫画のレビュー&随想 | 100夜100漫

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第199夜 決意も、後悔も、伝えなくちゃいけない…『花もて語れ

      2015/03/27

「朗読にとって大事なのは聴き手の人数じゃない。/たとえ聴き手がたったひとりでも、それは読み手にとって大切な大切なお客さんだ。/舞台は、別に本物の舞台でなくたって構わない。/聴き手は友達だっていい。家族だっていい。/本当に聴いてほしかったら、舞台は他人に用意してもらうものじゃなく、自分自身でつかみとろうとするものなんだ。」


花もて語れ 1 (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)

『花もて語れ』片山ユキヲ 作、朗読協力・朗読原案 東百道、小学館『月刊!スピリッツ』→『週刊ビッグコミックスピリッツ』掲載(2010年1月~2014年7月)

 両親と死別し、地方で暮らす伯母に引き取られた佐倉ハナ(さくら・――)。小学1年生の彼女は、もともとの引っ込み思案のうえ周囲との言葉の違いもあって、友達と遊ぶよりも雲を見ながら空想するのが好きな女の子だった。
 ある日ハナは、しぶしぶ教育実習にやってきた折口柊二(おりぐち・しゅうじ)と出会う。柊二に才能を見いだされたハナは、学芸会のナレーション役をこなすため、朗読の手ほどきを受けることに。それは空想の世界に半ば逃げ込んでいたハナに、自分を見つめ現実へと向き合う力を与えるものでもあった。
 それから10数年。22歳になったハナは就職先のムーンリバーコーヒーで働くため、上京する。
 その性格ゆえに、会社の新人研修でも失敗続きで落ち込むハナ。しかし、ふとしたきっかけで藤色きなり(ふじいろ・――)の主催する朗読教室を訪れたことから再び朗読に触れ、それは引きこもりだった佐左木満里子(ささき・まりこ)という知己を得ることへと繋がっていく。
 宮沢賢治の「やまなし」、芥川龍之介の「トロッコ」、新見南吉の「ごん狐」、太宰治の「黄金風景」、坂口安吾の「風博士」――。劇団員の山吹(やまぶき)、病院事務の若竹(わかたけ)、夜の商売人アカネ、謎の多い朽葉(くちば)といった朗読教室の受講生たち、会社の先輩、同じ小学校だった谷村直樹(たにむら・なおき)、そして再会した柊二。多くの人の助力を得てハナの朗読は続いていく。
 それは、かつて家族を喪い、恋心と友情に惑うハナの、精一杯の気持ちを伝えることを意味していた。全身全霊をもって語るハナの言葉に、想いの花は咲いていく。

音読とは似て非なる
 子どもの頃からアニメ版『銀河鉄道999』(第82夜)のメーテルが好きで、好き過ぎて、その道(いわゆる声優やアナウンスなどの世界)に入ったと思しき人を知っている。その人は当然、メーテル役の声優である池田昌子氏を深く敬愛しており、今でも氏の朗読会などがあると、そう近くでもないのにはるばる出かけていくという。
 朗読というと、その知人とメーテルのことを思い出すのだが、自分がやってみたこととなると、ない。ただ、小学校3、4年の頃の担任が毎日のように音読の宿題を出したことはよく覚えている。自分は教職科目なんて履修しなかったし、どういう教育的な目的があったのか知る由もないのだが、いい大人になっても昼日中から漫画やら小説やらの物語に入り込みやすい性質を維持しているのは、この音読教育をそれなりに感受したのが一因ではないかと自己分析している。
 さて、この音読と朗読だが、厳密には定義が異なる。幾つかの辞書をひっくり返してみたところ、音読とは単に「声を出して読むこと」であり、朗読は「伝えようという気持ちをもって音読すること」のようだ。そして、この朗読を朗読たらしめる「伝える気持ちをもって」という点が、この漫画の大テーマとなっている。
 そのテーマを活かすため、この漫画には東百道(ひがし・ももじ)氏という作品解釈および朗読ノウハウの提供者が携わっている。これによって、朗読シーンの深みを出すことに成功しているというわけだ。
 「視点の転換」や、朗読者としての「ステップ」などの概念が紹介され、朗読シーンにおいては、文章を“どの視点で読むか”を、“作品世界の外から”から“登場人物が自分自身の心の中で”まで最大6種類のフォントを使って表現している辺り、初読ではとっつき難さがあるものの、やはり意欲的と云わなければならないだろう(ちなみに、こうした朗読の理論については東氏の著書『朗読の理論―感動をつくる朗読をめざして』で詳述されている)。

この泣き虫たちめ(涙目)
 しかし、朗読の技術や要素の紹介というだけでは、この漫画の全てを語ったことにはなるまい。そういう理屈を登場させつつ、なおかつ登場人物たちの成長や変化を雄弁に語る熱量(つまりは「伝える気持ち」)が、この漫画にはある。
 エピソードごとに朗読対象として扱われる作品にスポットが当てられる構成になっているが、どのエピソードも、朗読される作品、朗読する人物、それを聴く者それぞれの来歴や経緯がクローズアップされ、渾然となって展開していく。
 朗読によって披露される作品の解釈については、東氏によるものだと思われる。特にキーとなることの多い宮沢賢治の諸作については氏の『宮澤賢治の視点と心象』が出典だろう。が、そうした解釈を消化し、同時に人物たちの心象に無理なく添わせている点は、間違いなく作者の力量によるものだ。
 そして、朗読を終えれば、わだかまっていた心はほぐれ、打ちひしがれた心はもう一度立ち上がろうとし、長く秘められていた想いは通じる。その時の人物たちの様子はといえば、ちょっと泣きすぎじゃないかと思うほどの頻度で涙を流すのだが、素朴な温かみのある画による表現に、ともすれば読者の目すら潤んでくるというものだ。
 このような視点で見る時、この漫画はやはり、作者が長くチーフアシスタントを務めたことから師と云うべき藤田和日郎(第27夜第64夜)の近作『月光条例』と対比したくなる。主人公たちがお話の中に入ったりキャラクターの気持ちを汲んだりする『月光条例』が“キャラクターの物語”あるいは“サクシャの物語”だとするならば、お話をどう感じ、翻って現実をどう生きるかというこの漫画は“ドクシャの物語”だ。
 著作権関係の制約か、朗読対象が古典的名作に限定されているのが少し物足りない気もするが、その分、登場する作品は掛け値なしの名作ばかりだ。そのおかげもあって久しぶりに文学が読みたくなるし、それと同時に読者に現実を頑張る力を与えてくれるこの漫画自体もまた、名作に違いない。

*書誌情報*
☆通常版…B6判(18.2 x 12.6cm)、全13巻。電子書籍化済。

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