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漫画の感想やレビュー、随想などをつづる夜

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第201夜 槌音が背を押す、それぞれの決意…『誰がために鋼は鳴る』

      2018/07/24

「ケンちゃんさんの打つ音は/とてもキレイです/私 あの音を聞くと/がんばれるって思えるんです」「  そっか……」


誰が為に鋼は鳴る

誰がために鋼は鳴る天乃タカ 作、エンターブレイン『Fellows!』掲載(2009年2月~2010年6月)

 神戸の北西、山裾に広がる三木市は打刃物の伝統が残る町。しかし今やその伝統は廃れ、鋼を鍛える槌の音は、ほとんど聞こえなくなっていた。
 そんな中、青年ケンは、事故で急死した師匠が営んでいた石田鍛冶屋に残り、未熟ながらも刃物を作り続けていた。彼が鋼を鍛える音は、古くから土地に住み鍛冶場の炎を司ってきたキツネ神を久方ぶりに呼び起こし、やがて1人の少女、みっちゃんの興味を引く。彼女は、シングルマザーでデザイナーをしている母親の都合で横浜から預けられてきたのだった。
 少女と、青年と、神。三者の出会いはめぐる町の季節の中、静かに波紋を広げていく。
 少女は、神と戯れ、青年の綺麗な槌音に惹かれ、美しく成長するに及んで進む道を決意する。
 青年は、少女と神とに見守られて鋼を鍛え続け、少女の母親サチの助力も得て、やがて土地の伝統を守ろうと決意する。
 そして神は、自らは傍観者であることを受け入れつつ、それでも2人を思い、最後にすべきことを決意する。
 交錯する三者の決意は何を生み、何を失ったのか。トンテンカンの響きは、それでも弛まず鳴っていた――。

神と人を繋ぐもの
 DMMのブラウザゲーム『艦隊これくしょん』に追随した諸作品の中でも『刀剣乱舞』はヒットだろう。史実に基づいた名刀を擬人化した刀剣男子たちのおかげで、刀剣の種類や刀工などについて多くの人の知るところとなったようだ。河出書房など出版社も呼応し、勢い山城・大和・備前・美濃・相模といった各地も、改めて刀剣の産地として認識されることになったと思う。
 しかし、刀剣以外の刃物(例えば鎌や包丁といった日用品)の産地については、刀剣ほどには知られていないのが実情だろう。この漫画の舞台である兵庫県三木市は、播州三木打刃物の伝統が残る地域だが、自分はそのことを、この漫画を読むまで知らなかった。
 戦うための刃でなく、暮らすための刃を鍛えてきただろう土地。そこでの物語は、穏やかで、静かに澄み切っている。中心にあるのは、云うまでもなく青年ケンが迷いながらも取り組む鍛冶場の様子だ。いわゆる“お仕事漫画”として鍛冶の現場を描いたという見方ももちろん可能だが、それ以上にその光景は、漫然とこなされるべきでない厳粛さに満ちている。
 火花と神の声めいた響きが渾然と光っては散る鍛冶場のシーンには、“昨日まで存在しなかったものを作る”という、原初的な“仕事の神秘”とでも云うべきものを感じる。鋼を鍛え、焼き入れ(水に入れて急激に冷まし強度を上げること)する音を、刃の出来栄えにはしゃぐ少女の(あるいは神の)声に見立てる演出が素晴らしい。本来“仕事”というのは、こんな風に人と神を繋ぐ尊い営みなんだろうと思わせてくれる。

大切だからこそ、振り切って歩み出す
 加えて、単純に刃を鍛える営みの神秘性や、その伝統を守ろうと奮闘する人々の姿だけを描いた漫画ではない。主役級であるケン、みっちゃん、キツネの3者にも、あるいはみっちゃんの母サチ、脇役の少年杉山にも、“大切なものに近づいて守りたいのに、それが叶わない”という辛さが付いて回るのだ。
 大切なもののために、当のそのものと、暫しあるいは永久に離れなければならない。そういうことが現実にも確かにある。形を変えて繰り返し描かれるこのテーマは、幻想的な空気の濃いこの漫画の中でひどく骨太だ。
 そうした離別の契機として、幾つかの要素が組み込まれている。好きなことと仕事であることのジレンマ。幼さを脱ぎ捨てることによる痛み。時間が硬直した神と、移ろっていく人の対比。それらがあいまって描かれる物語は、高潔で、だからこそ哀しい。
 それでも、これは前向きな物語だ。哀しみを湛えつつも、傍らに居た者のことを思い、ついに前に進む彼らの顔はどれも穏やかに晴れている。
 終盤にキツネがとった行動の理由付けやサチの年齢など、構成的に疑問が残る部分はないではない。作者には、1巻分に収めるという面での苦心もあったろうと思う。
 しかし、それを補って余りある抒情性は、珠玉と云っていい。新年度、新たな道を歩み始める多くの人に薦めたい。

*書誌情報*
☆通常版…B6判(18.2 x 12.8cm)、全1巻。電子書籍化済み(紙媒体は在庫僅少)。

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