【一会】『乙嫁語り 10』……それぞれ人生の使い方
2018/12/28
年上のお嫁さんアミルと、まだ少年と云った方が近い風情の夫カルルク。2人と家族たちの生活から始まり、19世紀の中央アジア諸方の結婚と夫婦を描く『乙嫁語り』。先日11巻が刊行されましたが、先に2月刊行の10巻について書きたいと思います。
前巻のあとがき漫画での予告通り、アミルの兄であるアゼルたちの北方での暮らしぶりが今巻前半のエピソードです。意外なのは、彼らの中にカルルクの姿があること。
町でアミルや家族たちと暮らしている彼が、なぜ冬を前にアゼルたちと狩りをしているのか。どうもそれは、自ら望んでのことのようです。
そのままでも大丈夫
回想場面によればカルルクは「弓を習いたい」と願い出たようですが、実際のところは弓だけでなく、色々な面で男として強くなりたい、ということの模様。
ともあれ、やがて来る冬に備えて人手は多いに越したことはないといういうことで。過去には色々とありましたが、今はカルルクはアゼルたちの越冬地に置いてもらい、協力して狩りに出る毎日のようです。弓の扱いは未熟ながら、カルルクの意欲は充実しています。
アゼルにとってカルルクは妹の夫。なので「婿殿」と呼ぶのは筋が通ってはいるのですが、研修生のような今のカルルクの立場からすると、照れくさいというか過分な気がするというのも分かります。確かに呼び捨てにしてもらった方が落ち着くでしょう。
そんなやり取りをしている2人を見ていると、末っ子として育ったカルルクにとって、冷静で思慮深いアゼルは、なかなか良い兄貴分かもしれません。アゼルの従兄弟ジョルクの気楽な感じも、やはり従兄弟のバイマトの超然とした感じも、またタイプの違った兄貴たちのようで悪くなさそうです。
冬が近づき、アゼル達は家畜の整理を進めます。体力がない家畜は潰して食肉にすることで、餌を節約して人間の食糧の足しにはなるということで、非情な気もしますが、それほど遊牧民の暮らしは余裕など無いということでしょう。
そんな中、アゼルはカルルクに一羽のワシを譲ってくれます。冬は鷹狩りの季節。弓だけでなくワシの扱いも習得してもらおうという心意気は、カルルクの「強くなりたい」という気持ちに応えたものでしょうか。カルルクの腕にようやく乗せられるくらい大きく、強く美しい雌ワシは、どこかアミルを思わせます。相変わらず森先生の描くものは何でも美麗なんですが、特に今巻はこのワシの佇まいが素晴らしいと思ったり。
ワシの訓練をするうち、やってきたのは本物のアミル。週に1度は会いに来てくれているみたいですが、カルルクはそれを月に一度くらいのペースにして欲しいと申し出ます。
8歳離れていて、アミルが20歳過ぎだとすると、カルルクはようやく中学生くらいの年齢ということになります。自分がそれくらいの歳の時に20歳の人を見たら、どう考えても「大人」としか思えなかったわけで、カルルクの焦りのような気持ちは理解できます。できるんですが、やっぱりちょっと無理してるんじゃないかなとも思えて、苦しい気持ちです。
遊牧民とイヌワシの関係を、バイマトを主役にして描いたエピソードを挟み、季節は冬に。いよいよカルルク達の騎馬鷹狩猟(きばたかがりりょう)が描かれます。「ワシなのに鷹狩り?」と思ったのですが、タカ科・ハヤブサ科の鳥を用いた狩猟を総称して「鷹狩り」と呼ぶようです。
「オクショル」と名付けられたカルルクのワシは、立派な得物を獲ってくれました。カルルクは自分が理想としている男性に、また一歩近づいたと云えるんじゃないでしょうか。
その後日、壊れた道具を直してもらいにカルルクがジョルクを訪ねると、何となく話はジョルク達の結婚話へと。「先立つもの」が無ければ遊牧民の結婚は覚束ないようで、なかなか厳しいようです。「恵まれている」とジョルクに云われたカルルクですが、その通りだと思います。割とよく聞く「結婚はタイミング」という類の話は、一面では真理ではないでしょうか。
カルルクとアミルも、そういうタイミングの妙もあって夫婦となりましたが、もちろんそれだけではないはずです。久々に訪ねてきたアミルがカルルクに“かけがえのない人”だと改めて告げる場面は、互いの深い愛情を感じました。
復讐と採集と恋心
といったところで、今巻のカルルクたちの出番はおしまい。つづいては、フィールドワーク中のスミスと案内のアリのエピソードが描かれます。
オスマン帝国のアンカラまで、今は隊商にくっついて旅している2人ですが、越えようとしている山の天気が思わしくなく、ペルシアとの国境の村でしばし足止めのようです。部屋を借りて休む2人の話題は、これからのこと。アンカラへ行った帰りもアリに案内を頼むという商談がまとまり、アリは上機嫌です。
長引く足止めの手慰みに、村のラクダの毛を刈って模様を付け始めたのも、その上機嫌ゆえでしょうか。「かっこいい」という以外に特に意味は無さそうなこの毛刈りですが、絨毯や布の模様が有り難がられるような感じで、当時の人々の間では面白がられていたのだと想像します。
手際よく暇つぶしも終わったところで、2人の旅路にもゴーサインが。その頃アンカラでは、スミスの友人ホーキンズが、友の到着を待ちわびて気を揉んでいました。ついでに、不凍港を求めてトルキスタンまで南下せんとする、ロシアの動向がきな臭いようでもあります。そういう緊迫した情勢下でフィールドワークを続けようとするスミスを、本国へと連れ帰るよう親御さんに頼まれて、ホーキンズ氏は出張ってきたというところでしょうか。
一方、山中を進むスミスたちは、山道でみすぼらしい出で立ちの男を見かけていました。アリが云うには、この辺りには“血の復讐”の掟があるから、とか。何年かかっても仇討ちを為そことを是とする習慣があるので、それを怖れて山の中に隠れ住む者が居るとのことです。
アリは「最初に殺した方が悪い」と云います。勿論そうなんですが、それでも16年も山中暮らしをするというのは物凄い。スミスが若干引き気味なのも分かります。
そして確かに、隠れ住んでいる男をいまだに探している男がいました。隠れ住んでいる男が殺した人の友人だというその男は、今ある自分の命を復讐のために使う、と云います。不毛なようにも思いますが、アリの云った通り「誇りの問題」であるならば、そういう命の使い方もありなのかもな、とも思います。
ともあれ無事に山越えを果たし、2人はアンカラへと入りました。ホーキンズに挨拶しに来たスミスは、さっそく一度帰国せよとの説得に遭うことに。
が、「人生が足りない」と口にするスミスの意志は、揺るぎません。
自分の命を復讐に使う者が居るのなら、フィールドワークに使う者が居たって不思議はないでしょう。数多の研究や技術などは、こういう覚悟を持って“命を使って”きた人々によって積み上げられてきたんだと思います。
そしてもう1人、自分の命の使い方を決めた女性が現れました。3巻でしばしスミスがお世話になった家の娘・タラスです。あれから紹介で親戚の紹介で再婚したものの、スミスのことが忘れ難く、旦那さんに事情を話してアンカラまで探しに来たとのこと。この旦那さん、困惑混じりではあるものの、そうとう理解のあるナイスガイではないですか。
人情あふれる言葉を残し、旦那さんは去っていきます。残ったタラスに対して、さてスミスは――といったところで、今巻の本編はお開き。次巻へと続きます。
巻末の「あとがきコンコンマンガ」は、中央アジアの冬の厳しさやホーキンズのことなどなど。ほっと一息ついて、次なる11巻に手を伸ばします。