【一会】『シャーリー 2』……きっと沢山ある日々のうちの8片
2018/07/21
2003年に、まだ「1巻」という明記すらなく、初期作品集の趣きに近い1冊として刊行された『シャーリー』を、実は『エマ』(100夜100漫第60夜)よりも先に読んだ自分ですが、11年の時を経て2巻の刊行が成るとは想像していませんでした。もっとも『Fellows!』(のちに『ハルタ』)に散発的に続編が発表されているのを知ってはいたわけですが。
ちなみに、今巻のあとがき漫画で明言されましたが、この漫画の舞台は、ヴィクトリア女王の子息にあたるエドワードの在位期間に当たるエドワード朝の時代とのこと。わずか10年足らずでしたが、シャーリーが生きるのは電灯や自動車が普及し始めたこの時代で、ヴィクトリア朝の頃が舞台の『エマ』より少しだけ後の時代ということになります。
(なお、今巻の発刊を記念しての原画展も開催中(~9/21)。探訪記事は以下の通り。
【探訪】『シャーリー』2巻発売記念 森薫 原画展…紅茶の香りと心にくい本の匂い)
内容的には11年前の前巻と大きく異なることなく、そして画的には正統的な進化を経て、妙齢の女主人ベネットと、13歳にして彼女のメイドとして仕えるシャーリーの日々を読めるのは、当初からの読者として、それだけで大きな喜びです。帯には「穏やかなる生活」とありますが、緻密に描かれた小さな嬉しさや発見や失敗を、こんなにも面白く思うのは不思議な気もします。
1つにはもちろん、作者の森先生のメイド愛というか英国愛というか、そういった想いが滲み出ているからでしょう。加えて自分は、ベネットとシャーリーの関係性もまた魅力なんじゃないかと、2巻を読んで改めて思ったりもしました。
2人の関係としては、もちろん“主人とメイド”というものが一番ウエイトを占めています。が、シャーリーが13歳という若さで、しかもベネットのたった1人の使用人であるがゆえに、“保護者と被保護者”とか“歳の離れた友達”という、ある意味私的な関係性が垣間見えてきます。そういう、仕事としての関係性と私的な関係性の二重性が、エドワード朝時代の英国の生活紹介漫画という以上の妙味をもたらしているんじゃないかな、と。
その一方で、やっぱり“持つ者と持たざる者”の断絶は、2人の間にも厳然とあったりもします。
シャーリーの「欲しいもの」というのが実は2巻の(あるいは作品全体の)裏テーマかなと思っているのですが、そのシャーリーが欲しいと挙げるものが、ちょっと哀しい。彼女は欲望することに慣れていないのでしょう。そんな彼女が、主人に申し出るほとんど初めてのお願いと、その夜の夢がまた涙を誘います。
このあたりのほろ苦い味わいもまた美味と云うべきなのでしょう。ただ、やっぱり、シャーリーには幸せになって欲しいと思うのが人情ですよね。
細かいシーンを挙げれば、2人のダンスパーティーとか、シャーリー緊急出動とか、普段くつろいでいる姿しか知らないベネットの、巧みな働きぶりとか大人の顔などなど、印象的な箇所はまだまだありますが、ここまでにしておきます。
いつものようにあるイミ“濃い”あとがき漫画によると、森先生にとって『シャーリー』はライフワークのようです。きっと先生の頭の中には2人のエピソードがそれこそ実在した人物のように山ほどあって、そこから8つだけを取り出して見せたのが今巻なんでしょう。また10年くらい後でもいいので、また幾つかのエピソードが、3巻として結実するのを楽しみにしています。