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漫画の感想やレビュー、随想などをつづる夜

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第60夜 いまは遠ざかりし、優雅と峻別の時代の恋情を想う…『エマ』

      2018/07/08

「英国はひとつだが中にはふたつの国が在るのだよ/すなわち上流階級以上とそうでないもの/このふたつは言葉は通じれども別の国だ」


エマ (1) (Beam comix)

エマ森薫 作、エンターブレイン『月刊コミックビーム』掲載(2001年12月~2008年2月)

 1890年代、英国。ヴィクトリア朝の終わりも近い時代。新興貿易商の子息、ウィリアム・ジョーンズは、幼少期に自分を厳しく教育した元ガヴァネス(家庭教師)、ケリー・ストウナーを訪ねる。十数年ぶりの再会にケリーは喜ぶが、ウィリアムはケリーに仕えるメイドオブオールワークス(雑役女中)にして、ひとり身のケリーに娘のように寄り添うエマに心を奪われる。
 少しずつ接近し、ついには恋に落ちる2人。しかし、厳然たる階級制度が残るこの時代、上流階級の者と庶民との恋愛、結婚は考えられなかった。爵位へ手を伸ばそうとするウィリアムの父、リチャードは、息子とキャンベル子爵家との政略結婚を推し進めようと画策し、エマもウィリアムを想いながらも身を引こうとする。ただ1人、ウィリアムの幼馴染でマハラジャの王子、ハキムだけが2人を祝福していた。

似て非なるもの
 美麗な作画で人気を獲得した作品である。作者の英国のメイド及びその周辺に対する情熱は掛け値なしに素晴らしい。同時にそれを紙上に再現しようとする執念にも、並々ならないものを感じる。現在、次の連載に当たる『乙嫁語り』で本作と同時代くらいの中央アジアの一民族の生活を描いているが、絢爛豪華な描写から、自分としては本作を推したい。
 内容的には『ベルサイユのばら』など往年の歴史もの少女漫画を彷彿とさせる、貴族や上流階級の華麗な生活と、身分違いの恋を描いている。『ベルばら』がそうなったように、宝塚歌劇との親和性が高そうだ。ただ、『ベルばら』等と似て非なる点として、ストーリーと同時に当時の文化・風俗の紹介にも力点を置いていること、主人公たちが歴史的事件には関わらない(というより、泰平の時代ゆえに事件に遭遇しない、と云った方が適切か。無論、個人レベルでは事件が巻き起こるのだが)ことが挙げられる。
 主人公エマには、例えばオスカルのように混迷の中で煌めく美しさはないが、控え目な彼女が階級という障害と相対したときに見せる凜然とした佇まいには、別種の気高さを感じる。

終わっていく、或る時代の中で
 大きな視点から見ると、本作の舞台は戦乱の一歩手前であることがわかる。20世紀に入ると、イギリスを含む欧州列強のアジア・アフリカ植民地化の余波は世界大戦に繋がり、二度の大戦(特に第二次世界大戦)でイギリスは疲弊し、世界の主導権はアメリカに移る。本作の舞台は、その戦いの世紀の前夜とも云える時代である。
 そのことについての註釈めいた記述は本作にはない。そんなものがあれば、この英国恋物語にはむしろ野暮であろう。しかし読み手として、幸せに歳を重ねたであろうエマとウィリアム達が、どんな晩年を過ごしたかということには、少なからず想いを致す。そう捉える時、本作は巨大な世界史の中で毅然と生きた英国人達の、大切な記録にも思われる。8巻から最終巻の10巻まで、エマとウィリアムの物語を離れて当時の人々の群像劇を綴ったのには、そういう意味もあるのではないだろうか。

*書誌情報*
☆通常版…B6判(18.2 x 13.4cm)、全10巻。あとがき漫画、オリジナル葉書の付録などあり。電子書籍化済み(恐らく葉書なし)。

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