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漫画の感想やレビュー、随想などをつづる夜

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第164夜 10代は背伸びし、20代は首をすくめる…『たまりば』

      2018/07/22

「なんでハルオもまたアイス買ってんの?/さっき食べたじゃん」「オトナは1日にアイス2本食べてもいいんだよ」「いいなぁ〜/オトナ……」「そうでもねーよ」


たまりば 1巻 (ビームコミックス) (BEAM COMIX)

たまりばしおやてるこ 作、エンターブレイン『Fellows!』掲載(2008年10月~2012年2月)

 「渋谷」を出た東急東横線は、「多摩川」から「新丸子」の間で多摩川を渡り、東京都から神奈川県に入る。そこにかかる丸子橋の下で、小学生の弟、拓也(たくや)が「おっさん」と遊んだと聞き、高校1年生の姉、中原美和(なかはら・みわ)は訝しむ。
 「姉を紹介する」と請け合ってしまった拓也に不機嫌になりつつも、「ジョニデ似」の一言に懐柔され、美和は友人の高津あや(たかつ・——)を伴って橋の下に行くことに。そこで出会った「おっさん」——ハルオはジョニデ似ではなかったが、美和はひと目で恋に落ちてしまう。
 相変わらず河川敷で真昼間から拓也とユルく遊ぶハルオに、身体の発育の割に幼さが残る美和は一途なモーションをかける。ハルオのためだけのアンケートを作って渡したり、ハルオのスーツ姿が見たいために、あやも引っ張り込んで刑事ばりの張り込みをしたり。
 そんな美和の奮闘をハルオは、はぐらかしながらも生温かく見守ってくれる。が、その一方で、恋人サチとの同棲に漂う別れの予感に、ハルオの心中は穏やかではなかった。更に、美和と同じ学校で彼女を狙うチャラ男系イケメンの小杉晴彦(こすぎ・はるひこ)と連れの新城(しんじょう)まで参戦し、河川敷は混迷の度合いを増していく。
 美和とハルオ。16歳と28歳。天真爛漫と天の邪鬼。2人の想いは、果たしていつしか交わる時が来るのだろうか。

無所属の空間
 この漫画の舞台よりもだいぶ上流だが、自分にとっても多摩川の河川敷は思い出深い場所だったりする。と云っても美和やハルオのように自宅からほど近いわけではなく、初めて行ったのはちょうど美和の弟の拓也と同じくらいの頃だったかもしれない。乗れるようになったばかりの自転車で、子どもにとっては波乱万丈の大冒険の末、ぽっかりと開けた河川敷に到達した時の解放感は今も憶えている。さらに高校は河川敷の近くだったので、橋の下で歌やら演劇やら色々な練習をしたりもした。
 思えば河川敷というのは不思議な場所だと思う。何故だかぼーっとすることができるのだ。住宅地の公園などだと、昼日中からいい歳をした男が1人でいると間違いなく怪しまれるが、河川敷だとそうでもない気がする。ハルオが河川敷で過ごすのは、そういうことなのだろう。
 それはまた、ハルオや美和たちが所属する、学校なり会社なり家なり、あるいは社会といった場所を離れ、全き個人としていられるということでもある。経済小説の先駆者である故城山三郎が『無所属の時間で生きる』というエッセイを書いているが、どこにも所属しない1人の人間ということを自覚するのに、河川敷という空間はこの上なく適切な気がする。
 そういう空間を主な舞台に据えたからこそ、2人の出会いは自然に映る。丸っこい女子高生と常に目の下に隈があるような眼鏡で痩せぎすな28歳男の組み合わせは、ともすれば後ろ指を指されそうなものだが、そこに無理を感じないのは、ノリの軽さや作画の清潔感だけでなく、そうした舞台装置による部分も大きいのだろう。

本当の大人
 しかし、そうは云っても2人の仲には困難が付きまとう。橋の下で繰り広げられる2人と拓也、あや達による他愛ない掛け合いが微笑ましい一方で、ハルオにはサチが、美和には小杉が、それぞれの“所属する場”からの避けがたい干渉として現れてくる。
 その上、最も大きいのはハルオ自身の考え方だ。サチとのことがありつつも、それ以上に“大人”であることを理由に彼はのらりくらりする。
 傷ついても挫けず、自分の求めるものに立ち向かっていく美和が“子どもの強さ”を体現するのなら、ハルオは“大人の強さ”を身に付けている。ただ、それは生身の強さではなくて、様々な“事情”という結界を幾重にも纏い、自らを麻痺させているゆえのものではないだろうか。辛いことがあっても、オカマ言葉でおどけて自嘲気味に語るハルオの強さは、やはり悲しい強さだと思う。
 だが、自称「オッサン」のハルオにしても、28歳の今が彼の到達点ではないだろう。時として、大人だって“子どもの強さ”を発揮できるし、しなければならない時が来るのだということを、本作のクライマックスは謳っている。
 もしかしたら、相反する“大人”と“子ども”を持ち併せる者こそ、本当の大人なのではないだろうか。そんな風にも考える。この漫画における多摩川が“大人と子どもの境界線”を象徴するのなら、いざという時その水面にえいやとダイブできる身軽さは、決して愚かではないと思うのだが、どうだろうか。
 だから、高校生に「オッサン」と云われるのはまだしも、ハルオは自称しないで欲しい。自分も30代であるが故の小さな不服と云われてしまえば、それまでのことではあるけれど。
 ちなみに、昨年の『ヤングキングアワーズ』(少年画報社)10月号より不定期連載中の『アオとハル』では、高校時代のハルオが描かれている。彼の来歴が気になるのなら、こちらも併せて読まれたい。が、今のところ掲載頻度は低い模様である。

*書誌情報*
☆通常版…B6判(18 x 13cm)、全2巻。電子書籍化済み。

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