第106夜 湯を介し、癒しで繋がる彼方と此方…『テルマエ・ロマエ』
2018/07/20
「浴場の中で心安らげるかどうかは/共に浸っている人間にかかる部分が大きい…/湯に対して全身全霊を捧げる平たい顔族は/一緒に風呂に入るのに最高の人種ではないか!?」
『テルマエ・ロマエ』ヤマザキマリ 作、エンターブレイン『月刊コミックビーム』掲載(2008年1月~2013年3月)
西暦130年周辺、古代ローマはハドリアヌス帝の時代だった。軍事よりも、内政や哲学、ことに建築に関心と才能を有したこの皇帝の治世による都ローマで、浴場専門の設計技師、ルシウス・モデストゥスはふて腐れていた。新進的な時勢を必ずしもよしとしない彼の設計思想は受け入れられず、事務所と喧嘩別れして失業状態になってしまったのだ。
鬱々としたまま友人と公衆浴場に入ったルシウスは、ふとしたことから浴槽の内壁に空いた穴を見つけ、足をとられて吸い込まれてしまう。湯から顔を出すと、そこは現代日本の銭湯だった。ローマ人のルシウスから見れば“平たい顔”をした民族の、奇妙でありながらも超進歩的な技術と様式を備えた浴場にルシウスは感銘を受け、そのエッセンスを何とかローマに持ち帰ることに成功する。
以来、難題にぶつかるたび、何かに導かれるようにローマの浴場から“平たい顔族”の浴場(家庭の浴室・銭湯・温泉・ショールームなど)へと転移し、新たなインスピレーションを得ていくルシウス。そうした仕事に対する評価は上がり、私生活では挫折も味わいつつも、皇帝からも重用されるようになっていく。
度重なる“平たい顔族”の世界への転移の中、ルシウスは古代ラテン語を解する才媛、小達さつき(おだて・さつき)と出会う。その出会いが、ローマ帝国とルシウスの人生を変える転機であることに、その時の彼はまだ気付いていなかった――。
しっくり・まったり
この夏、両親がイタリア旅行に行ったらしい。先日、久々に会ったところ、ローマ、ヴェネツィア、フィレンツェなどの写真をたっぷり見せられたのだが、自分が古代ローマに公衆浴場文化があったと知ったのは、子どもの頃に『小学○年生』で読んだポンペイの特集だったように記憶している。例によってその時は「ふーん」で済ませて、知識はあっても実情を思い描くことはしなかったのだが、そんな古代ローマの公衆浴場とその周辺事情を活き活きと描き出している点が、まずはこの漫画の特徴だろう。
古代ローマというと岩明均『ヘウレーカ』、技来静也『セスタス』シリーズ(第59夜)などがただちに思い浮かぶが、歴史的事件や格闘技ではなく入浴文化がメインテーマという、この漫画の独自性は云うまでもない。更に、それを風呂好きの日本人らしく強引にも現代日本の入浴事情とくっつけてしまった、作者の発想の腕力というか飛躍力は稀有だろう。
せっかくの飛躍力も、その結果が竹に木を接ぐようでは残念に終わってしまうものだが、これが変にしっくりときている。一緒に風呂に浸かることになる日本人(大半がご老人)とルシウスは、温泉で飲食を共にしたり、オンドル小屋で寝ていたり、「与作」を歌ったりと、言葉が通じないなりに価値観を共有しているし、古代ローマ人たちも、ルシウスが導入する日本風のあれやこれやを違和感なく受け入れる。湯に浸かることで得られる、まったりとした時間がそうさせるのだろうか。この、お湯を愛する民族同士が時空を超えて交流する、ボーダーレスな感じがとても心地いい。
質実剛健にして不屈な男たち
まったりとした風呂物語でありながらも、一方で本作は硬派な魂を描いた漫画でもある。主人公のルシウスにしてからが生真面目な浴場技師で、多少、精力減退気味な描写もあるが、それも仕事に没入するが故なのだろう。ルシウスの時代の皇帝であるハドリアヌスも、大帝国の責務を真正面から引き受け、彼なりに職務に励んできた結果としての疲れ果てた姿を見せる。ルシウスが転移した先の日本でも、さつきの祖父で整体院を営む鉄蔵(てつぞう)や若き浴場設計士など、仕事人の男たちが作品に奥行きを与える。そんな仕事人同士の会話(というか、交わされるのは言葉ではなく心だが)の場面は、和やかさとはまた違うものの、いかにも“認め合った男と男”という感じの、気持ちのいい空気が流れている。そんな男たちが造り上げ守ったのが人々の憩いだとするならば、何とも素敵なことではないかと思う。
この漫画は一応全6巻完結ではある。が、今秋より新シリーズが連載開始されるとのことだ。新シリーズは、明日10月12日発売の『コミックビーム』10月号より開始。物語の再開を、刮目して迎えたい。
*書誌情報*
☆通常版のみ…B6判(17.8 x 13cm)、全6巻。電子書籍化済み。各巻に作者コラム「ローマ&風呂、わが愛」収録。