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漫画の感想やレビュー、随想などをつづる夜

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第163夜 菌と人間、遠いけれども楽しい学びの道…『もやしもん』

      2018/07/22

「この学校はスゴいよ/いろんな人がいろんな意志で支えあってみんなで遊んでるんだね」


もやしもん(13)限定版 (講談社キャラクターズA)

もやしもん石川雅之 作、講談社『イブニング』→同『月刊モーニングtwo』掲載(2004年7月~2014年1月)

 この春、晴れて東京の某農業大学(これが正式名称)に入学した沢木惣右衛門直保(さわき・そうえもん・ただやす)は、味噌や醤油などの醸造食品の製造に用いられる種麹(たねこうじ)を扱う種麹屋の次男坊。彼は、普通は顕微鏡でなければ見ることのできない菌やウィルスを、デフォルメされた人の指ほどのキャラクターとして認識し、会話もできれば指で摘むこともできるという超能力を持っていた。
 一緒に入学した幼馴染で造り酒屋の息子、結城蛍(ゆうき・けい)とともに、直保はまず、祖父の旧友にして某農大教授の樹慶蔵(いつき・けいぞう)の研究室を訪ねることにする。2人を待っていたのは、菌類によるテラフォーミング(惑星環境改変)を提唱し、農を語り出すと止まらない、ちょっとヘンな樹教授だった。樹が新たに構える発酵蔵(はっこうぐら)を拠点に、直保と蛍、院生の長谷川遥(はせがわ・はるか)と、ただ1人の樹ゼミ生の3年生、武藤葵(むとう・あおい)、直保の能力でぼろ儲けを企んでは失敗する学部2年の美里薫(みさと・かおる)と川浜拓馬(かわはま・たくま) 、除菌大好きな1年の及川葉月(おいかわ・はづき)たちの、菌と「かもし」の日々が始まるのだった。
 キビヤックにホンオフェ、シュールストレミングなどオリンピック級の臭いを誇る食べ物。味噌に醤油、味醂に酢などの調味料。そして焼酎、ワイン、ビールに日本酒といったアルコール類。食べ物以外にもパンデミカルな感染症まで、時には世界を巡って菌たちによる多種多様な活躍ぶりに触れつつも、自由でお祭り好きな某農大の学風もあって常にお祭り騒ぎ、時には海外にまで飛び出して、少しばかりは将来を思ったりもしつつ、彼らの1年間は過ぎゆく――。

醸しの諸相
 滋賀県の余呉(よご)というところに、徳山鮓(とくやまずし)という、ちょっと変わった宿がある(寿司屋ではない)。変わっているのは食事で、ここでは鮒子の熟鮓(なれずし)に代表される発酵食品をたっぷりと味わうことができるのだ。この宿に関わりが深い発酵学者の小泉武夫氏は、一説にはこの漫画に登場する樹慶蔵教授のモデルと云われているが、ともあれ発酵の真髄に触れられる宿であるのはまちがいない。
 この宿や小泉氏のような発酵についての情報発信者は、以前から存在していたに違いはないが、それでもこの漫画によって多くの人がオリゼーの名に親しみ、国立科学博物館での特別展示に訪れたことは否めないだろう。「菌が見える」という能力をこれほどまでに正統的に活かし、概要に記したような、菌が関わる様々な食品の成り立ちを、それをめぐる複雑な事情まで噛み砕き、ほんわかとした雰囲気の中に図説してみせた功績は大きい。それは漫画というよりも、社会教育的な媒体としての意味すら担ったのではないだろうか。
 実際、自分はこの漫画を読んで冒頭の徳山鮓に興味をもったのだし、もともと好きだったワインやビールに、『ソムリエ』(第38夜)などとはまた違った親しみを抱くことができた。それなりに難しいところはあるが、そこはおいおい戻ってくるとして、中高生以降の年代ならば興味深く読まれる漫画であろう。

“まどか”の極意
 ただ、それだけの意義を有しながらも、この漫画の本質的な楽しさはそこにはないと思う。それではどこにあるのかというと、自分が感じる限り、それは物語の主な舞台となる某農業大学で醸成される、学生たちの自治性にある。
 入学式の余韻が残るそばから「春祭」が催され、夏休み明けには一般の大学で云う学祭に相当する「収穫祭」があり、そうした恒例行事の他にも、学生の発起によって年がら年中と云っていい頻度でお祭り騒ぎを催している某農大には、大学という機関が元来持っていた自治の精神が香る。ましてや農を生業としようという学生が集う大学だけあって、その自給自足が大学の治外法権っぷりに拍車をかける様子は痛快だ。
 そんな都市国家の趣き漂う某農大のキャンパスを、直保たちの背後を付いて回るような疑似体験がまず楽しい。時に沖縄や海外に舞台を移すが、慣れない土地でも(あるいはだからこそ)、彼らの自主自律ぶりが強調される。
 食や環境、あるいは経済とも関わって、農をめぐる様々な立場があって議論は尽きない。いかな某農大の学生であっても、それらに簡単に答えを出すことは適わない。が、難しく考え過ぎる必要もない。
 多彩な人材がそれぞれに考え、支えあって楽しみを作り出すキャンパスは、それ自体が既に世の中の縮図だ。同時に、雑多な種が存在し、醸すことで恵みをもたらす菌たちの世界とも相似の関係をなしているのではあるまいか。そして、人も菌も含む、そんな大きな円の中での経験は、決して劇的にではないながらも、確かに直保たちを変えていく。それは、まだ答えのない問いに対する、作者の極めて誠実なアプローチに思えるのだ。

*書誌情報*
☆通常版…B6判(18.2 x 12.8cm)、全13巻。電子書籍化済み(紙媒体は在庫僅少)。
※紙媒体の3巻以降は特装版ないし限定版が存在(本の判型は通常版と同じ)。
 限定版の主な内容は以下の通り。4、5巻:携帯ストラップとフィギュア同梱、6巻:A.オリゼーぬいぐるみ同梱、7巻:A.オリゼーを組めるナノブロック同梱、8巻:絵本『オリゼーのおしごと』同梱、9巻:限定おまけDVD同梱、10巻:アメリカンなペーパーバック仕様、11巻:『もやしぼん』同梱、12巻:『もやしもん 発酵食品+α 全さくいん』同梱、13巻:『農大スクールカレンダー』『ネーム13巻+α』同梱

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