【一会】『猫瞽女―ネコゴゼ― 4(完)』……ここぞ胸突き八丁、けじめの刻
2018/07/21
戦後まもなくソ連に占領され、共産主義が台頭したパラレルな1950年代の日本を舞台に、擬人化された猫たちによる遊侠活劇を描いた『猫瞽女―ネコゴゼ―』。完結巻となる4巻が、今春刊行されました。
盲目の女芸能者・瞽女(ごぜ)にして三味線に仕込んだ暗殺剣の達人でもある夜梅(ようめ)と、ロシア正教に由来するらしい特殊能力“機密”によって対象の知覚を遮断する能力を持つ行者の鶯(うぐいす)という2匹の縁と、露わになった極左勢力「世界革命執行人」のナンバー1(アジーン)「二本尾っぽ」の革命への野望の行方はどんなものとなるでしょう。例によって遅きに失した感はありますが、内容と感想を織り交ぜつつ、語ってみたいと思います。
前巻の後半で、夜梅の過去が明らかになるとともに、兄・梟(サヴァ)に彼女が刃を向けたことから、鶯は去っていきました。2匹が再びまみえるのは、共通の仇敵である「二本尾っぽ」が蹶起の気配を嗅ぎつけ向かった東京炭鉱・青梅収容所の他にないでしょう。
今巻の冒頭は、そんな蹶起を見張る一本独鈷の建治とお辰の会話から。片や夜梅たちに助けられたやくざ者、片や高官向け娼館「時計屋」の女たちの姐さんといった体で、ともに物語の初期から登場している彼らですが、やり取りから察するに長年連れ添った仲のよう。しかも、話している内容からすれば、やくざ者や娼婦のリーダーとはまた別の顔を持っていそうです。
彼らの会話から改めて分かるのは、横田から始まった第32狙撃猫師団の反乱は、秘密結社「善智なる盗賊(ラズボイニカ)」が世界革命に見せかけて蜂起するよう工作した反共クーデターである、ということ。夜梅や鶯を始め多くの者が探していた「二本尾っぽ」は、「善智なる盗賊」の罠に見事に引っかかったというところでしょうか。ともあれ、「二本尾っぽ」率いる「世界革命執行人」と、梟が鶯を引き込んだ「善智なる盗賊」および旧日本政府の依頼を受けた長岡瞽女座の連合勢力による激突は間近といったところ。前巻で鶯に去られ、その落胆からようやく立ち直った夜梅は、道案内の少年ロフとともに下水道を通じて因縁の「二本尾っぽ」の処へと向かっている真っ最中です。
解放した東京炭鉱・青梅収容所の労働者たちに「二本尾っぽ」は、暴力による革命の正当性を「鍵をかけられた箱」の比喩とともに訴えます。「箱には鍵がかけられており/しかし箱を開ける鍵は箱の中だ」。だから箱を開ける(=階級制度から人民の主権を取り戻す)には、暴力が必要である、というわけです。
この理屈、もっともにも聞こえますが、そもそも箱と社会では、同じ壊すにしても出る被害には相当の差があります。「二本尾っぽ」自身の内面は、本編では描かれませんでしたが、彼は本当のところどう思っていたのか、気になるところです。
この演説に対し、聴衆からは拍手が起こりますが、前述の通りこの蹶起は「善智なる盗賊」によって仕組まれたもの。つまり聴衆の拍手も本心からのものではないということでしょう。「二本尾っぽ」の前に姿を現した梟は、「二本尾っぽ」の革命論を「世界から疎外された幽霊たちの自己幻想に過ぎない」と切り捨てます。
激励するロフに鶯の奪還を誓った夜梅が、「二本尾っぽ」専用の装甲列車を見たのとほぼ同刻、地上では梟の「二本尾っぽ」への反論が続きます。「この極東の人民はすべて理想都市(キテジ)を治める長老…善き王(ツァーリ)の財産である」という梟の――ひいては「善智なる盗賊」の――理屈もまた、読んでいる自分には正当とは思えません。ただ、鶯にとって梟は大切な兄ですし、家族を殺した「二本尾っぽ」への復讐は、その意味では応援したいところでもあります。
しかし、「二本尾っぽ」の反駁は鶯を動揺させます。その言を信じるならば、「善智なる盗賊」が崇める「長老」とは、現実のロシア帝政末期に現れた怪僧ラスプーチンであるようです。
結局、「世界革命執行人」も「善智なる盗賊」も、いずれも日本を統治するのに相応しい勢力ではなさそうです。しかし、ともかくいま確かなのは、この二勢力の衝突が不可避であるということでしょう。自分の出自の忌まわしさに震える鶯を梟が叱咤し、両陣営の白兵戦は始まりました。
「剣は凶器/剣術は殺人術/どんな綺麗事やお題目を口にしてもそれが真実」。そう云ったのは、やはり多くの死を振り撒いた過去を持つ緋村剣心でしたが、まさしくその通り、いかに思想が綺麗に見えても、拮抗した武力衝突となれば、至るところは単一です。すなわち、如何に相手を効率よく殺すか。
修羅の世界を目の当たりにした鶯の泣き声こそは、夜梅が密かに懸命に、避けようとしてきたことでもあったようです。夜梅の云う「誰も鶯を泣かしちゃならねえ」とは、そういう意味でもあったのですね。
鶯の“機密”が成す真の力「塗毒鼓の折伏(ずどっこのしゃくぶく)」は、多数の命を奪い、夜梅もまたその剣と信条によって夥しい数の死をもたらしてきました。してみると、夜梅と鶯は、互いに互いの“鞘”だった、と云えるのかもしれません。しばしの別離の末、今また2匹は花札の「梅に鶯」そのままに、ひとつ処に落ち着きました。
鶯の力で両陣営の多くは戦意喪失。しかし、「二本尾っぽ」は戦車の装甲に守られ、「世界革命執行人」は無傷の第三陣を投入してきます。
しかし、2匹が退くわけもありません。彼女たちにはそれぞれ「二本尾っぽ」への、是非とも取り立てなければならない“貸し”があります。多勢を相手にする2匹の助太刀に立ったのは、長岡瞽女座。それぞれ含むところはありそうですが、夜梅の出奔を悔やみながら逝ったという親方の心を汲んでの参戦に、熱いものを感じます。
瞽女衆の助けを得て、ついに2匹は「二本尾っぽ」の眼前に立ちました。戦車対生身という不利も、もはや大した不利には思われません。間合いを詰める夜梅の前にナンバー90「桜唇」が割って入り肉弾戦となりますが、それは却って「二本尾っぽ」の本性を露呈することに繋がったようです。
とっさに梟が“機密”の力を用いて「二本尾っぽ」に見せた「内なる恐怖」は、夜梅と、彼女たちの亡き娘が「ケリをつける」のに充分な時間をくれました。「おんなどもめ」。「二本尾っぽ」はそんな言葉を吐きました。
一部始終が終わって沈黙する蹶起の跡地に、瞽女衆と鶯の説教が染み入ります。世界革命的でも白ロシア的でもない御仏の教えには、自分も多少は頷けそうに思いました。
「自分の考えで生きていけ」という鶯の言葉は立派ですが、理想でしょう。実状としては、またも諸国家や組織による迂遠で面倒なあれこれがあることを匂わせつつ、2匹の戦いはお開きとなります。
浮き草たる2匹は、その後シベリアにわたり、弾丸特急でレニングラードを目指しつつ、ラスプーチンやソ連中央委員会書記長をめぐる陰謀に身を投じていくことになるとのこと。それが他日演じられるか否かは分かりませんが、まずはこの悲しくも燠火のように熱かった本編の完結を喜ぶとしましょう。
宇河先生、お疲れ様でした。執筆中に逝ったというベベ、小太郎、万ちゃんの3匹の猫(2~4巻カバー下を参照)には哀悼の意を表しつつ、また先生の作品にお会いする日を楽しみにしています。