第205夜 ディスプレイに躍る意地と愛と魂と…『大東京トイボックス』
2018/07/24
「…それは/直さずにすめばその方が効率がいいからに決まって…」「もうやめろ/効率? プロ? まるでガキだな」「…なんだと?」「そんなのは大人じゃねえ/ただの聞き分けのいい子供だ」
『大東京トイボックス』うめ(小沢高広…企画・シナリオ・演出担当/妹尾朝子…作画・演出担当) 作、幻冬舎コミックス『コミックバーズ』掲載(2006年9月~2013年7月)
※先んじて『モーニング』(講談社)にて第一部に当たる『東京トイボックス』掲載(2005年11月~2006年5月)
代表作『サムライ☆キッチン』の海外版完成と引き換えに、同シリーズの商標権を業界大手のソリダスワークスに譲渡した、秋葉原の零細ゲーム制作会社スタジオG3。かつてソリダスで名作『ソードクロニクル』を作った過去をもつ天川太陽(てんかわ・たいよう)は、出資会社から出向してきた、優秀ながらゲームは素人のOL月山星乃(つきやま・ほしの)に社長の座を譲り、企画チーフとして日銭稼ぎの仕事に当たっていた。
『サム☆キチ2』製作のためソリダスに引き抜かれた谷崎七海(たにざき・ななみ)の分の人員補充を試みるが、太陽が手配を誤り、やってきたのはゲーム好きだが作るのは未経験の百田モモ(ももだ・もも)。温情で試用期間を与えられたモモは、どうにか食らいつきプランナーの道を歩み始める。
そんなG3に、ゲーム販売会社MMGの社長、須田大作(すだ・だいさく)が持ちかけてきたのは、太陽の幼馴染にして今はソリダスAM2局局長に出世した仙水伊鶴(せんすい・いづる)が主導する、次世代ゲーム共同開発事業「SOAP(スープ)」への参加だった。
共同制作することになったのは、池袋に本拠を置く、同人サークルから叩き上げの電算華組。社長の半田花子(はんだ・はなこ)が提出した『デスパレートハイスクール』にG3による大幅な方針転換が加えられ、すったもんだをしつつ開発は進められていく。
しかし、βチェック、αチェック、ソリダスによる独自のソリダスチェックといった関門に引っ掛かかり、さらにスタッフたちのトラブルも続発し、『デスハイ』の開発進捗には常に暗雲が立ち込める。
一方、自分の思惑を達するため、伊鶴は秘書の窪ノ内品子(くぼのうち・しなこ)や『サム☆キチ2』ディレクターとなった七波を使いつつ、社内の改革を進めようとする。そんな伊鶴に対し経営陣は、「首輪」としてソリダスユーロ品証部からやって来た卜部・ジークフリート・アデナウアー(うらべ・――・――)を用いる。が、知られざる過去と野望を抱いたアデナウアーの暗躍は、ソリダス、そして社会全体に影響を及ぼしていく。日本のコンテンツ産業に、静かに幕が下ろされようとしていた。
納期、開発費、レーティング、クオリティ、そして携わるスタッフ達の、魂。全ての問題を解決し、『デスハイ』のマスターアップは成るか?
“ちゃんと”のジレンマ
大鳥居や日吉にあるゲーム会社に就職活動をしに行ったことがある。とはいえ、本気で目指している人たちに比べれば記念受験のようなもので、軽はずみな行動を思い返すとどうにも心苦しい気持ちになる。
当然、採用通知は届かなかったが、本気で志望していた知人たちのうちには、願いが叶ってゲーム業界に就職し、今も働いている人が幾人かいる。この漫画を読んでまず思い浮かぶのは、そんな知人たちの現場での苦労話の数々だ。プランナーをやっている知人の仕事ぶりを聞く限り、太陽たちスタッフの生態は、かなり現実に即していると云えそうでもある。
現実に即しているという点では、残酷・性的表現への自主規制、著作権侵害の非親告罪化といった要素もそうだ。前日譚に当たる『東京トイボックス』が、普通のOLだった月山から見た太陽(&ゲーム業界)の特異さや、単純にゲーム制作そのものがクローズアップされていたのに比べ、この点は『大東京』となってから変わった点だと云えよう。
『東京』が単行本2巻分の連載で打ち切りとなり、3か月ほどして他誌で『大東京』が始まったという経緯を考えると、この2作は当初から1つの物語だった(『東京』の終了後に、新たに続編として『大東京』が企てられたわけではない)と推察できる。しかし、この“仕切り直し”によって、作者に限られたゲーム会社だけでなくゲーム業界全体について描こうという欲求が生まれたのではないか、と自分は考える。
ナチズムに異を唱えた牧師マルティン・ニーメラーの詩「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき(Als die Nazis die Kommunisten holten)–Wikipedia」が引用されつつ描かれる、徐々にサブカル界の“外堀が埋められていく”様子は、例えば先ごろ完結した『有害都市』ほどに極端ではないが、それだけに現実と地続きな感じを受け慄然とする。
また、そうした動きをより大きな視点から捉えれば、“1つの業界が成熟することによるジレンマ”のようなものが描かれているように思う。黎明期には“独立愚連隊”で既成概念を打ち壊していった組織と業界が、規模を拡大し、社会的な認知を経て「ちゃんとした組織」であろうとするあまり冒険ができなくなる様、とでも云えるだろうか。自分は何となく、最近なにやら再始動が宣言されたアニメ『天元突破グレンラガン』で、大グレン団が辿った軌跡に重ねてしまう。
そんな“成熟した業界”に再び風穴を空けるべく、方法は違えど奮闘している青年として太陽と伊鶴と捉えるならば、この漫画の魅力は、ゲーム業界をリアルに描いたという特異性だけでなく、硬直した上層部に異議を申し立てる青年たちを描いた普遍性にもあると云えるかもしれない。
太陽と、月と
ただ、そうした仕事や社会についての側面だけが全てではない。そこで働く人々の人間関係――特に云えば女性たちが、走りがちな物語にブレイク(小休止)と奥行きを与えている。現実におけるゲーム業界の女性率は、今のところ高くはない模様(女性開発者の大半が5年以内に離職!? ゲーム業界で女性が長く働き続けるには【CEDEC 2014】 – ファミ通.comなど参照)だが、この漫画では結構な数の女性がそれぞれの魅力をたたえて登場し、男たちを圧倒したりたしなめたり、一緒になって熱い仕事ぶりを展開してくれるのだ。
もちろん、太陽と伊鶴の因縁や、卜部の野望といった男たちの物語が中心にはある。しかし、太陽と月乃、伊鶴と品子、あるいは他の人物たちによる、女と男のやや湿度のあるやりとりが、熱量の高いこの漫画に幾ばくか潤いを与えている点は見逃せないだろう。その多くは性的とは云い難い、休憩場所などでの何ということもない会話なのだが、その“何ということもなさ”に味がある。
例えばプログラマー側のチーフである依田(よだ)とグラフィッカー側のチーフであるアベマリ(阿部茉莉)とのやり取りは、あくまで同僚同士、タメ口でぼやき合う形でありながら、同性同士では絶対に出ないであろう気づかいが漂い絶妙だと思う。そんな風に、単に“仕事に戦う人々”を描くだけでなく、一歩引いたところでそれぞれの素の表情を見せる場面が差し挟まれている点には、作者が男女のコンビ(というかご夫婦)であることが無関係ではないだろう。
“創る”ことができるクリエイターと経営の人間である月山との対比についてはいささか消化不良気味だったり、音楽関連の人物が不在だったりといった点もあるが、そんなのは重箱の隅もいいところであろう。熱さと暖かみが渾然となった、自分も“魂を合わせ”たくなる快作である。
*書誌情報*
☆通常版…B6判(18.2 x 13cm)、全10巻+『東京トイボックス』よりもさらに以前(太陽のソリダス時代)を描いた『東京トイボックス0』、サイドストーリー集『大東京トイボックスSP』も存在。全て電子書籍化済み。