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漫画の感想やレビュー、随想などをつづる夜

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第168夜 髷と笑いの軌跡…『県立伊手高柔道部物語 いでじゅう!』

      2018/07/22

「ご、ごめんね。なんか変な奴ばっかりで…/けど、よかったら見学くらいしていってよ!」「(いい!)」「林田達のかけ合いは、桃ちゃんのお笑い心に火をつけた!」


いでじゅう!(1) (少年サンデーコミックス)

県立伊手高柔道部物語 いでじゅう!モリタイシ 作、小学館『週刊少年サンデー』掲載(2002年7月~2005年6月)

 県内でも指折りの進学校、県立伊手高校で、1年生ながら柔道部部長を務めることになった林田亀太郎(はやしだ・かめたろう)は燃えていた。3年程前までは強豪校として知られた伊手高柔道部だが、現在2年生の部員は不在、そして6月で3年生たちも引退、残された1年生は全員初心者という、まことに厳しい状況にあった。
 そんなわけで、林田は3年生から部長に指名されたのだ。自分が柔道を始めるきっかけになった名作漫画『柔道バカ一代』を読み返し、必ず部を復活させ、全国一を目指すと気合いを入れる林田だが、ほどなく1年生の半数も辞めてしまう。
 残った部員は変人ばかり。性衝動の赴くままに生きる危険人物の皮村薫(かわむら・かおる)、力士体型でオネエ系、別人格を持つ自分のちょんまげ“チョメジ”を意のままに操り「ちょんまげ番長」の名をほしいままにする藤原虎呂助(ふじわら・ころすけ)、人間離れした巨大さと寝起きの悪さで恐れられながらも心優しい三浦単一(みうら・たんいち)、美形なのに男が好きでテンションが上がっては林田をどこかへさらう“変態貴公子”こと東菊千代(あずま・きくちよ)の4人に、ツッコミを入れつつも、柔道をさせるべく、林田の努力は続く。
 そんな魔窟に現れたのは、小柄なお嬢様、ベリ子こと綾川苺(あやかわ・いちご)と、彼女に付き合って様子を見に来た、林田あこがれの人にして実はお笑い好きの森桃里(もり・ももり)の2人の女子生徒。後々には後輩たちも加わって、彼ら伊手高生による、柔道したりしなかったり(むしろしない方が多い?)、ラブありコメありたまにマジありの、新生柔道部の3年間が始まるのだった。

ギリギリアウトか、セーフなのか?
 自分が中学生の頃、不真面目な柔道部員だったことは既に書いた(第52夜)。この漫画で云えば虎呂助たちのような立ち位置だったのだが、練習そのものは監督役だった近所のお爺さんが厳しかったので大変だった。並べたパイプ椅子を飛び越えて受け身をとる、なんていう、今考えたら役に立つんだかどうだか分からない練習もよくやっていた。
 そんな自分にとって、中学と高校の違いはあれ、この漫画における柔道部のお笑い優先な活動ぶりは、最初「こんな柔道部あるわけないじゃん」と微妙な気持ちを抱かせるものだった。のだが、そのうちそんな事はどうでもよくなって楽しんでいた。
 小綺麗な作画は、桃里やベリ子といった女子をもちろんキュートに描いているし、男子たちもそれぞれ不快ではない。いや、虎呂助や皮村たちがしでかすことは不快なのだが、なぜだかそれを読む者にポップなものとして認識させてしまう辺り、奇跡的なものを感じる。
 そして、それを云うのなら、虎呂助・皮村についてだけでなく、この漫画には“よくよく考えると少年誌としてはアウトっぽいこと”が、けっこう登場しているのだ。例えば菊千代が林田をさらってナニをしているのかとか、準レギュラー的扱いとしてAV女優が登場(しかも2人)することとか、綺麗なラブコメ的展開に反した刺激的な要素が散りばめられている。
 この点、例えば同じ『サンデー』で同時期に近しいジャンルの漫画を描いていた藤木俊(第95夜)の作風と比較すると興味深いかもしれない。上のような事情を勘案すると、どちらかと云えば藤木漫画の方が上品と云えるだろう。しかし、本作11巻の「おまけまんが」として描かれている、小学館コミックの2004年謝恩会の様子(藤木俊『こわしや我聞』5巻にも逆視点からの漫画がある)から推し量る限り、女性ファンが多いのは(あくまで比較の話だけど)モリ漫画のようなのだ。もちろん、簡単に云い切ることはできないが、ギリギリアウトとセーフの間を縫うような絶妙さが、その人気と無関係ではないような気がしてならない。

普通に生きて、笑うのがいいでしょう
 そして当然のごとく、可愛さや軽妙なギャグ(下ネタ含む)だけがこの漫画の魅力ではない。独自に動く虎呂助のちょんまげ“チョメジ”に代表されるシュールさとか、不器用な恋とそれに付随する各々の心境の機微とか、自分たちの居場所としての部と、それを守ろうとする心意気とか、柔道に青春の一瞬を燃焼させるひたむきさとか、そういうものが渾然一体となって語られる物語は秀抜だ。
 しつこく前述の藤木漫画と比較するならば、藤木漫画が日常と非日常の二層構造を旨とするのに対し、この漫画が描くのは多くの場合、読者たちと同じ地平にある日常である。チョメジという超常的な存在は登場するものの、彼の本質的な役どころは、時たましか出てこない顧問の先生に代わって部員たちを見守るというものだろう。
 部員たちがバカをやり部長がツッコむという、どうでもいい日常の素晴らしさを描くのに、比較という手法が採れない一層構造は二層構造よりも難しいに違いない。が、お笑い好きの桃里という存在の目を通すことで、彼女がなぜお笑いが好きなのかということも含めて、それは巧みに示されていると思う。
 大会で大活躍したり、抱腹絶倒のギャグが連発する漫画ではない。しかし、笑いと熱さと暖かさを同時に読者にもたらしてくれる作風は、なかなかに心地いいものである。

*書誌情報*
☆新書版…B6判(17.2 x 11.4cm)、全13巻。電子書籍化済み(紙媒体は絶版)。

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