第24夜 気高くも哀しい、非モテ系昭和男児の生き様…『男おいどん』
2018/07/03
「神もホトケもクソもあるもんかとは思うばってん/もしいらっしゃるなら天地・宇宙 万物の真理をつかさどる神サマ/おいどん男ばい! しあわせにしてくださいともたすけてくださいとも死んでもたのみません/おいどんはおいどんのやりかたでがんばるけん/見ていてください」
『男おいどん』松本零士 作、講談社『週刊少年マガジン』掲載(1971年5月~1973年7月)
高度経済成長期も後期に入った頃の東京都文京区本郷。 大山昇太(おおやま・のぼった)の暮らす下宿館はそこにある。中学を卒業して九州から上京した昇太は、工場で働きながら夜間高校に通っていたが機械の故障の責任を取らされ仕事をクビになり、嫌気がさして高校も辞めてしまう。なんとか学校に戻ろうと、西向き四畳半に学生服を飾り、凛とした日々を過ごそうとしているが、貧乏と短気で思わしくいかず、積もり積もった着用済み猿股(さるまた)パンツには「サルマタケ」なる謎のキノコが生え、下宿館の家主のバーサンやラーメン屋のオヤジにはたびたび迷惑をかけた上に逆に励まされる毎日だ。
次から次へと現れる美人に恋慕するも、無芸大食・人畜無害かつ、高校中退・チビ・がに股・ド近眼・不細工・インキンタムシ、加えて下宿内を猿股姿でうろつくことから“サルマタの怪人”という称号まで頂戴する身分では、詮も無し。働いたり働かなかったり、焦るもののままならず、昇太の奮戦は続く。
“あの頃”の日常系
本作を知ったのは父の本棚経由である。『銀河鉄道999』もあったことから、どうやら松本零士を気に入っていたらしい。ただ、父は漫画を1巻から順に買うということをしない人で、本棚にあったのは3巻とか9巻とかの端本ばかりだったために、まだ小学生だった当時に読んだのは断片でしかなかった。昇太が、なぜ貧窮しながらも学生服を守り神と呼ぶような境遇に至ったのかを知ったのは、大人になって自分で全巻を収集してからだ。
しかし、いざ1巻を読んでも、その辺りの事情はかなりあっさりと描かれており、あとは昔読んだ端本と同様、金がなく暇をもて余し、不思議と美人に巡りあっては哀しい結末を迎えるというお決まりのエピソードを延々と繰り返していた。
これをワンパターンと捉えるのは簡単であろう。しかし、ペーソスに溢れる昇太の行動に「しょうがないなあ」と苦笑するし、毎回ラストに挿入されるモノローグには抜き身の孤独感があって切なくなる。およそ30年後に同じ『週刊少年マガジン』で連載された『ラブひな』と似た状況ながら真逆の展開であり、今日の日常系とは明らかに違いながらも、やはりこれは“早すぎた非モテ系”の日常を切り取った作品なのだ。
女たちの止まり木
そんな本作中の華といえば、やはり入れ替わり立ち替わり現れる女達だ。メーテルや『宇宙戦艦ヤマト』の森雪といった細身の美女をあまた描いている作者だけに、睫毛の長い麗人が次々と出てくる。正直なところ、外面的にはそんなに違いがあるわけではないし、大抵は昇太の人畜無害ぶりに甘えて体よく昇太を使おうとする者が多いが、中には昇太を慕っている者もいる。「どこが非モテ系か」と怒られそうだが、様々な事情が許さず、昇太は孤独であり続けるので許して欲しい。
ただ、出てくるどの女も、少しずつの孤独を背負っているということは記しておきたい。1970年代という時代の女性は、実家が嫁に行けと言えば(もちろん、江戸時代などに比べれば抵抗はできただろうけれど)従わざるを得ないものだったろう。言葉を換えれば、結婚することでしか、自分の将来を保障できないという観念があったのではないか。だから金を持っていて、学校に通っていて、そうして美形な男の下へ行く。それでも一抹の不安を覚える。そういう時に少しだけ一緒にいられる止まり木、それが、おいどんだったのではないか。止まり木の役は見返りこそないけれど、そんな役割も男を上げるには悪くない経験ではないか、とも思う。
*書誌情報*
☆通常版…新書判(17 x 11.6cm)、全9巻。絶版。
☆文庫版…文庫判(14.8 x 10.8cm)、全6巻。電子書籍化済み。