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漫画の感想やレビュー、随想などをつづる夜

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第185夜 責任=自覚×選択…『時坂さんは僕と地球に厳しすぎる。』

      2018/07/23

「空木宗也、キミは知らないようだから言っておくが――/人に使命感を抱かせしめるものは主義などではない。/誰かの期待だ。」


時坂さんは僕と地球に厳しすぎる。 1 (ゲッサン少年サンデーコミックス)

時坂さんは僕と地球に厳しすぎる。田中ほさな 作、小学館『ゲッサン』掲載(2011年9月~2014年1月)

 何事においても「ちゃんとしたい」が信条の高校生、空木宗也(うつぎ・そうや)は、ある朝ちゃんと分別して出したはずのゴミを“逆分別”されるという意図不明な嫌がらせ(?)を受ける。時を同じくして幼馴染の甲斐庄月音(かいのしょう・つくね)も制服を盗まれ、宗也は自ら犯人捜しを買って出ることに。
 前後して彼らの通う学校に転校してきた謎の美少女転校生、時坂暦(ときさか・こよみ)。なぜか宗也に親しげな彼女は、実は未来の人類のため、歴史を変えるためにこの時代にやってきたと語る。そしてその鍵になる人物こそが宗也だというのだ。
 “今の地球に厳しくすることは、未来の人類に優しくすること“。謎めいた宣言のもと、自分が未来に帰るためにもあの手この手で「環境☆破壊」を画策する時坂さんに、「ちゃんとしたい」宗也は大困惑。学校内外の環境保護活動に命をかける夢原逸花(ゆめはら・いつか)ひきいる生徒会環境監査室の目を掻い潜り、宗也の僅か1歳年上の叔父にして郷土を担う名家の次期当主、藤堂虎也(とうどう・とらや)を巻き込みつつも、宗也と時坂さんのアンチエコロジカルな日々は続く。ドタバタコミカルに、あるいは幾つかの切実な想いを抱きながら。

壮大なる逆説法の効用
 あまり上品とされない雑誌などで、「こんなこと絶対やっちゃダメ!」と言いつつも、そのやり方を詳細に説明している記事に出くわすことがある。もちろんそういう記事の意図はそういう法的にグレーなノウハウを読者に提供することだと思うけれど、それを真っ向から行えば色々と不都合が生じるために、そういうやり方に出ているのだろう。
 これを逆説法と呼ぶのならば、この漫画の第一印象はまさしくそういう手法で紡がれた“トリッキーな作品”ということになろう。
 もちろん、家庭の事情で一人暮らしの男子高校生(隣家にちょっとヤンデレの気のある幼馴染あり)のもとに、ある日突然ちょっと不思議な美少女がやってくるという同居系ラブコメ的な構図があったり、その少女が実は『ターミネーター』シリーズを思わせるようなハードでSFな背景を持っていたりする辺りも、この漫画の持つフック(取っ掛かり)ではある。あるいは土地の有力者としての叔父を登場させることで、微かに郷土の市政を考えるプチ社会派な色合いすらも感じさせられもする。
 が、何と云っても、“未来のために環境破壊を進めると見せかけつつ、その実「こういうことをすると環境破壊になり得る」ということを紹介する、壮大な逆説法で描かれたエコロジー漫画”だというのが自分の了解だ。
 例えば、学研の今は無き『科学』(2010年3月号で休刊)や多くの学習漫画のスタンスが正攻法的に環境保護の大切さを云っていて、それはそれで多くの読者の心に訴えかけたと思うが、やはりどこかで野暮ったさはあっただろう。
 引き換え、ちょっと隙がありながらも不思議に瑞々しさのある絵柄で、不思議少女が☆マーク入れて「環境☆破壊」とか云いつつ車をアイドリングさせまくったりヘドロを生成したり、畜糞を不法投棄したりして大体失敗するという展開の素っ頓狂さはハイセンスだろう。読者は苦笑いしつつも、気が付けば排水口に流す液体やコピーの枚数に気を使うようになっているという寸法なのだ。

「ちゃんと」の意味
 とはいえ、こうした形で環境破壊/保護について語ることは、リスクが無いわけでもない。何が環境破壊につながり、何が保護することになるかは、時々刻々と変化し続けているからだ。極端な話、時坂さんが行っている「環境☆破壊」が、現実における今後の研究結果によっては逆に環境保護ということになる可能性だってある。もしそうなれば、未来から来た時坂さんという存在は、パラドックス(これもまた逆説の意味の1つ)に満ちたものになってしまうだろう。
 もちろん、そうならないように作者や担当編集者は綿密に打合せをしたのだろうし、その片鱗は作者のTwitterでも垣間見ることができた(過去のつぶやきのため現在は閲覧困難と思われる)。ただ重要なのは、作者たちの意図するとしないとに関わらず、初見時にインパクトがあるであろう環境破壊/保護という要素は、恐らくこの漫画の主題ではないということなのだ。
 それでは何が主題なのか。全4巻という決して長大とは云えない物語の中には、先述したようにラブコメ、SF、地域社会、学園生活などといった要素が混淆している。ゆえに「展開が迷走している」と表現されることもあるのはある意味では仕方がないだろうし、実際、最終巻の手前あたりまでは手探り感があるのは否めない。
 しかし、その迷走に何となく振り回される主人公、宗也の物語としては、結果的に一貫していると云ってよいのではないだろうか。云い換えればこの漫画は、宗也が何となく抱いている「ちゃんと」が、自分の選択がどう未来に影響を与えるかということを自覚し、責任を引き受ける覚悟をもって進むという意味での「ちゃんと」へと昇華されていく――もっとチープに云えば、成長の――物語なのだ。そう捉えれば、冒頭の「今日は昨日の続き――/明日は今日の続き――」という彼のモノローグもまた意味深いものに思えてくる。
 環境破壊/保護といった二元論ではなく、どんな未来が待っているとしても、自らの選択の上でのことだと受け入れる強さ。それはもちろん、宗也だけが手にすればいいものではないはずだ。
 作者の前作『乱飛乱外』の奥行きと比べ、どうしてもあと1巻ほどの尺が欲しかったとは思う。が、それでも夏の終わりにしっくりくる、「boy meets girl そして…」な漫画である。

*書誌情報*
☆通常版…新書判(17.6 x 11.4cm)、全4巻。電子書籍化済み。

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