第156夜 コピーに始まり終わる日々…『星のポン子と豆腐屋れい子』
2018/07/22
「銀河のあちこちで食べ歩きしてきた私が保証します/あの卵焼きはハヒセに次ぐ美味ですわ/絶対に売れます!!」「うーーん/このままじゃ何も変わらねェしなあ」「やってみようよ!」「ねえ/うちの卵焼きよりおいしい/−−ハヒセって何?」
『星のポン子と豆腐屋れい子』小原慎司 原作、トニーたけざき 作画、講談社『アフタヌーン』掲載(2013年8月~10月)
最近売れ行きがかんばしくない西川とうふ店の子ども、れい子とヒロシの姉弟は、夕暮れ時の河原で狐のような不思議な生き物を拾う。両親に隠して部屋まで連れてきた2人だが、その生き物はどうも地球上の生物ではないらしく、言葉まで喋り出したのでびっくり仰天。
なぜか語尾に「ポン」を付けて喋るその生き物は、「プカロ星のヘトルーチャ・ペロメ」と自己紹介する。ヘギロ商会のセールスウーマンだという彼女−−ポン子は、たまたま食べた卵焼きの美味しさに感動し、まいにち卵焼きを食べさせてもらう交換条件として店のテコ入れに手を貸す事に。
そんな中、12歳になったれい子に対し、銀河連合法で成人になったことを理由に商談を始めるポン子。それは、ある程度のサイズのものなら何でも寸分たがわず複製できるウルトラスーパーデラックスコピー機の営業だった。
そして5年後。れい子はついに行動を開始する−−。
乾きと軽さ
『なるたる』(第139夜)と同様、とてもコメントに困る漫画である。『アフタヌーン』には伝統的に、作品についてネタバレなしで語る事を拒否するような作品が集うのだろか。
敢えて云えば、往年の藤子不二雄チックな表紙に騙されてはいけない。導入部こそ、そうした先行作品の流れを踏襲しているように見えて、第一話の終盤からは完全に別物である。合作した2人の作者をよく知る読者にとっては、ある意味で期待通りと云うべきだろうか。
いずれにせよ、家族というものを主題に置きつつも、ここまで乾いたハードなSFを展開できる思い切りには感心させられる。それに加えて感じるのは、怒濤の展開にもかかわらずな軽さなのだ。あんなことになりながらも(ああ、詳細を語れないのがもどかしい)、れい子はツッコむ時はツッコむし、大それた計画にも大して葛藤もせず賛同者が集まる。
見方によっては「割と人間のクズ」(『HELLSING』[第39夜])な登場人物たちなのだが、自分は少なくとも読んでいる最中には、そういう印象を受けなかった。それは明快な絵柄の軽さもさることながら、テンポよく進む構成によるものだと思われるのだ。
コピー=オリジナル
もう一つ、云いたいことが残っている。コピーのことだ。この漫画の主要なSF的ギミックとして、“同じ物を寸分たがわず複製するコピー”というものが登場する。この小道具が色々な意味でやってくれるのだが、ここで引っかかってくるのは、複製されたものが限りなくオリジナルと同一であるということなのだ。
全体的なストーリーの速力のせいで見過ごされがちと思うのだが、ここに現れるコピー=オリジナルという構図こそが、この漫画のハッピーもバッドも支配しているように感じられるのだ。
それはもちろん、2人の作者が達者であることを示すものに違いない。が、その一方で、作品世界には“唯一無二のものが存在しない”という不安感をもたらす事となっているのではないか。
決して悲劇的な幕切れというわけではなく、むしろ中盤のカオスからすれば「よくぞあそこからこうなった」と云いたくなるラストではあるものの、そうしたコピー=オリジナルという呪縛めいた視点のために手放しで安堵できるものではなくなっている。もっとも、その読後感こそが、作者らが目指したものに違いないとも思われるのだが。
とはいえ、単行本1冊に収まった、まさに珠玉といってよい漫画だ。ビターな味わいに興味があるのなら、手に取ってみることをお勧めしたい。
*書誌情報*
☆通常版…B6判(18 x 12.8cm)、全1巻。電子書籍化済み(紙媒体は絶版)。