漫画のレビュー&随想 | 100夜100漫

――夜毎、お話ししましょう。貴方が私を縊(くび)らぬ限りは。

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第91夜 鈍く終局する世界を見て歩くもの…『ヨコハマ買い出し紀行

      2013/09/12

「この数年で世の中も随分変わったわ/時代の黄昏が/こんなにゆったり来るものだったなんて/私は多分/この黄昏の世をずっと見ていくんだと思う/私には/時間はいくらでもあるからね」


ヨコハマ買い出し紀行(1) (アフタヌーンKC)

『ヨコハマ買い出し紀行』芦奈野ひとし 作、講談社『月刊アフタヌーン』掲載(1994年4月[読切掲載]~2006年2月)

 何かが起こり、終わった後の世界。後世に“夕凪の時代”と呼ばれることになる、弛緩した時代。高台で暮らす初瀬野(はつせの)アルファは、今となっては個性の1つ程度に思われている、“ロボットの人”。お店とアルファを残して、ふらりとどこかへ行ってしまったオーナーを待ちながら、カフェのカウンターに立つ毎日だ。
 とはいっても、人もまばらな世界で、店を訪れる人は数えるほど。アルファもお店も開けたり開けなかったりで、近所の子どもと遊んだり、友人を訪ねたり、夕暮れ時に月琴を弾いたり。そんな日常とも、非日常とも云えない日々がとつとつと続いていく。この世界が夜を迎えるまで――。

主演:風景
 大学生の頃がいちばん暇だったのだと、今になると分かる。季節の移ろいや空の綺麗さをまじまじと見たのは、一人暮らしをしていたあの頃だけだ。その頃に大切に読んでいたのが本作である。感化された自分は、暇にあかせて夜中に散歩をしたり、自転車で走りながら出回り始めたばかりの写メールで風景を撮ってまわったりと、若干はずかしいことをしていたが、それはひとえに本作の風景の描き方があまりにも綺麗だったからだ。ということにしておきたい。
 春夏秋冬の空。海の水温。草の萌える小道。旅の夜。かつて人が造った物。そうしたもの達が、本作には色使いも優しげに描き出されている。未来の話にも関わらず、そうした風景に読者は懐かしさを抱くだろう。主人公のアルファはロボットで、その不朽性のために世界を“見て回る者”であるが、やはり本作の本当の主役は、そうした世界の有様、風景であると云いたくなる。

往く船を見送る
 とはいえ、そうした風景の中で進んでいく物語も、やはり無視はできない。かつて“何か”があった世界では文明は後退し、アルファのような“ロボットの人”が暮らし、詳細のよくわからない物事が存在している。それが何を意味しているのかは断片的だ。しかし包容力に溢れた作品世界が、分析しようとする読者を懐柔する。作者が次作『カブのイサキ』(第9夜)でも見せているこのスタンスは、既に本作で確立されているのだ。
 確かなのは、人々は減りつつあるということ、そして“ロボットの人”は生身の人よりも相当ながく存在できるということだ。そこに悲壮さは無く、誰もが静かに、のんびりと暮らしている。ただ、子どもたちが子どもでなくなる時が来ても変わらずカウンターに立つアルファの心には、いくばくかの波紋が広がっても不思議ではない。あらゆることが曖昧な本作で、彼女のモノローグからそれを読み取るのは困難だ。
 しかし時にフルカラーで描かれる情景は、それを補って余りあるほどに饒舌だ。平坦な道のりを静かに歩き、そこに至ったような最終話に、読者はどんな感慨を抱くだろうか。

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