【一会】『ギガントマキア』……全存在を巻き込んだリングのただ中で、咆える
2018/07/21
『ベルセルク』があまりにも有名な、というか、それ以外の作品はこのところ手がけておられなかった三浦健太郎氏ですが、数えてみれば今作『ギガントマキア』が実に24年ぶりとのこと。武論尊氏の原作で書いた『ジャパン』以来ということになるんでしょうか。24年という年月を思えば、そりゃ自分(100夜100漫)も歳を重ねるわけですが、だからこそ帯に書かれた「脳細胞が老いる前に」云々という言葉に心から共感できる次第です。
『ベルセルク』が中世ヨーロッパを思わせる世界、『王狼』『王狼伝』がモンゴル帝国、『ジャパン』では近未来(世界崩壊後)の日本が舞台になっていますが、今作の舞台は未来。それも現在の国々がある程度のこっているような近い未来ではなく、1億年後という、遠未来とでも云うべき時代の果てですね。
そんな時代を旅する2人、ずんぐりむっくりした体格で「~っス」という体育会系な言葉遣いで話す青年(壮年?)、泥労守(デロス)と、おもに彼に乗って移動しつつ、こまっしゃくれながらも理路整然と話す、泥労守の“契約者”の少女(少なくとも見た目は)、風炉芽(プロメ)。
この世界がどういうことになっているのかは断片的なことしかわかりませんが、どうやら「帝国」が諸方の民族を征服しようと、色々とご無体なことをしているようで。その「帝国」が擁する侵略兵器的なものが巨人で、2人はその巨人を本来あるべきものに戻すことによって、豊穣の世界を取り戻そうとしているといったところでしょうか。題名になっている「ギガントマキア」は、語源的にはギリシア神話におけるオリュンポスの神々VS巨人たちの戦いを指すでしょう。
三浦作品らしく、泥労守や出会った男たちによる筋肉と筋肉がぶつかる戦いが、もちろん前面に押し出されているわけですが、その戦いぶりが、まさか現代日本で培われたアレとは。自分はそこまでアレには詳しくないので、分かる方の確認が欲しいところですが、見た限りではジャーマンスープレックス、サソリ固め、DDT(というかエメラルド・フロウジョン?)といった技の数々が、例の迫力あふれる描線で炸裂します。
そう、アレとはすなわち、プロレスなのです。更に恐らく作者オリジナル技の「怒炉守落し(なんと読むかは作中でご確認下さい)」まで飛び出し、色々な言葉にムリヤリ漢字を当てるスタイルとも相まって『五大湖フルバースト』(100夜100漫第178夜)の持っていた「今は何の時代でここはどこ? いや細かいことはいいやそれより目の前の闘いを見届けないと」感に似たものを感じさせます。
プロレスの片鱗は何も技だけではありません。『バキ』シリーズ(100夜100漫第14夜)に登場するレスラー達も再三云っている、「相手の技を全部受けて、受け切って、その上で闘って勝つのがプロレス」という哲学(そういえば昔、思想雑誌の『現代思想』がプロレス特集を組んだことがありました…)が、この漫画の特に前半の闘いには顕著に表れています。自分と相手と観客も一つにして、勝負のはずだったものを、いつの間にか別の何か(祝祭的熱狂とでも云うべきでしょうか)にスライドさせてしまうプロレスの力というものを、最果ての時代の闘いに表して見せたところが、自分には何とも痛快でした。後半で繰り広げられる闘いはまた趣きが違うと思いますが、決着の後にからりとした風を吹かせてくれるような結末がまた爽やかです。
そして、『ベルセルク』に魔女の女の子シールケがいるように、本作には謎めいた風炉芽(プロメ)がいます。汗臭い男たちのエピソードの中で、彼女のシーンは一服の清涼剤。作品世界の謎を握るであろう言動にも興味が惹かれます。
が、恐らく多くの読者に衝撃を与えるのは、ファイトスタイルゆえに生傷の絶えない泥労守を癒すための手法でしょう。彼女の体には生体組織を復元する液体、峰久為流(ネクタル)が蓄えられているのですが、泥労守への投与の仕方が…。まあそれはそれとしても、エネルギー消費の調節によって小さくなったり大きくなったりする彼女の、大人の姿もちょっと見てみたいと思ったりするのでした。そういえば「プロメ」という名は、人類に火をもたらして罰せられたプロメテウスから来ているのかな、とも。そう考えると彼女たちの目指す豊穣の世界という目標にも頷ける気がします。
こまごまと書きましたが、「この世界は/驚異に/満ちている」という作中の言葉通り、1億年後を作者なりに幻視した動物や半虫人たちの造形を垣間見るという意味でも刺激を受ける一冊です。もうちょっと続きを読みたい気もしますし、『ベルセルク』と無理なく両立して継続される形を願って止みません。