第157夜 芸術も友情も、無条件だからいい…『ぼくらのフンカ祭』
2018/07/22
「なあ…/オレ多分、一生忘れねーわ。/この光景。/ありがとな桜島。/オレをさそってくれて。」
『ぼくらのフンカ祭』真造圭伍 作、小学館『週刊ビッグコミックスピリッツ』掲載(2012年3月~同7月)
地元の東金松(かねまつ)高校に入学した富山剛士(とやま・たけし)は、さっそくだらけた高校生活を謳歌していた。そんな時、金松町にある火山が突然噴火。もともと過疎の上に火山灰に埋もれた町の行く末が案じられたが、図太く温泉地として繁栄することになってしまった。
剛士はそんな町の様子が面白くない。友人の桜島裕(さくらじま・ゆう)と学校をサボっては町をほっつき歩いたり、すっかり土産物屋に変貌してしまった家の手伝いをしたり。
ある日、剛士の姉の翠(みどり)が通う大学まで届け物をした2人は、翠たちが大学の寮に居座って学祭の開催を画策していることを知る。火山灰を理由に、寮も学祭も取り止めようとする大学側に反抗し、学生達はどうにか学祭を盛り上げようとしていたのだ。
学生達のリーダーは、初対面の裕にまでアイデアがないかと迫る。助け船のように剛士が云い出したのは、文化祭と噴火をかけた、町ぐるみのお祭り、“フンカ祭”だった。
ゴロの良さのせいなのか、たちまち話は大きくなり、町全体が祭に沸くことになっていく。しかし、その軽薄さに2人の胸中は複雑に。そこに魅惑的なダンスで男を虜にする女子大生、高橋みゆきも現れ、2人は疎遠になっていく。
近づく祭の日。彼らの思い描いた“真のフンカ祭”はどうなるのか−−。
全生命をひらききれ
自分が温泉好きだということは『オンセンマン』(第26夜)等で語ったかと思う。けれど、そうかといってこの漫画の冒頭のような形で自宅に温泉が湧かれると困るだろうと思う。そういうわけで、自分は剛士に同情的である。
突如として温泉街になった地方の町を舞台に、2人の男子高校生のバカながらもビターな味わいな日々を描いた漫画。要約するならば、概ねこんな感じなのだが、初めて読み終えた時ただちに脳裏に浮かんだのは、大阪万博の「太陽の塔」や東京の汐留で公開された「明日の神話」で有名な芸術家岡本太郎の言葉だった。
自分の持っている『壁を破る言葉』という本には、氏の強烈なメッセージが大量に収められているのだが、その中の一つにこうある。
「全生命が瞬間にひらききること。それが爆発だ」。
この言葉こそ、火山の噴火と青春の炸裂が見事に呼応したこの漫画と異様なマッチングを感じさせるように思えてならない。剛士の姉の言葉で云えば、“瞬発力とバカさ”と云うところだろうか。
自分が何者になろうとしているのか全く分からない。そんな高校時代のさなか、「全生命がひらききる」瞬間を描いたことだけでも、快作と云っていい漫画である。
特に事情のない2人
しかし、その爆発力は、剛士と裕という2人を描くための仕掛けなのだ。これだけ鮮烈なモチーフを、惜し気もなく舞台装置にしてしまう思い切りの良さに、「この漫画自体も“瞬発力とバカさ”に溢れている」と読者が考えたとしても、それは的外れではないだろう。ひょっとしないでも、それが作者の企てなのかもしれない。
男同士の友情を描いた漫画といえば、この漫画と同じ2012年に完結したということもあって『坂道のアポロン』(第138夜)を思い出す。ただ、同作の薫と千太郎が色々と複雑な事情を抱えているのに対し、剛士と裕には特に事情はなさそうだ。
そりゃあもちろん、剛士の父親はくたびれたオジサン(少なくとも噴火直後は)だし、裕の親はそうとう放任主義、というかネグレクトの匂いすらする描写がありはする。だがしかし、そうした事情は「普通」という言葉の範疇に収まる程度のものではないだろうか。
だけど、いいのだ。複雑な事情がある2人が支えあうような友情は、当然うるわしいけれど、特に事情のない2人が少し無茶するような友情だって、やっぱりうるわしいのだから。再び、岡本太郎の言葉を引こう。
「今、この瞬間、まったく無目的で、無償で、生命力と情熱のありったけ、全存在で爆発する……」。
無目的で無償でいいのは、芸術も友情も同じなのだろう。自然とそう感じられる本作のラストに、読者は心が震えること必定だ。
*書誌情報*
☆通常版…B6判(18 x 13cm)、全1巻。電子書籍化済み。