第104夜 ただ白球を追うだけで笑えた日々…『高校球児ザワさん』
2018/07/20
「おい守口ィ!! 何でアイツは練習後なのにビミョーにイイ匂いすんだよ、ああ゛!?」「いっ…いでででで。知らねッスよ自分は……!」
『高校球児ザワさん』三島衛里子 作、小学館『ビッグコミックスピリッツ増刊号Casual』→『ビッグコミックスピリッツ』掲載(2008年5月~2013年2月)
西東京にある日践学院高校は、甲子園常連の野球強豪校。当然、硬式野球部の練習は辛いし選手の層も厚い。反面、学業成績面ではもう一つである。
そんな日践硬式野球部には、珍しい部員が所属していた。それがザワさんである。
ザワさんは、都澤理紗(みやこざわ・りさ)という女子高生なのだ。女子ながら厳しい練習に食らいつき、授業中も野球のことしか頭にないザワさんだが、公式試合には出られない。
周囲の男子部員たちは、チームメイトとしてザワさんに触れようとするが、たまに“異性”が顔を覗かせるので手探りになってしまう。ザワさんはザワさんで、いかんともしがたい壁を感じたり。
厳しい監督やコーチ、先輩同輩、ちょっと不思議なエースの耕治(こうじ)さん、なぜか鉄道研究会の面々も登場し、ザワさんと仲間達の変だけどかけがえのない日々が過ぎてゆく。
俳句的フェティシズム
告白すると、本作のことをずっと、“あだ名が「さん付け」な、先輩からも一目おかれる試合巧者な高校球児の、いぶし銀な活躍を描いたガチンコな高校野球漫画”だと思っていた。で、一読驚倒、上の概要のような作だったわけだが、それはそれで特異な作品として面白く読んだ。
やはりオフィシャルな煽り文句にもある通り、硬式野球部の女子部員ザワさんの一挙手一投足から醸し出されるフェティッシュな魅力に、作中の男子と同様、嬉しさと気恥ずかしさがない交ぜになった感覚を味わうのが、読者としてまずは正しいのだと思う。
話の構成も、読み手にそうさせるべく仕立てられている。1話あたり数ページ、野球部を描きながらも試合や勝負という要素は遠景に退き、その代わりに練習後のひとときや学校生活が、断片的に示される。その断片具合たるや、時に俳句的ですらあるのだが、そうした文法が、ザワさんの身体や持ち物、仕草を鮮烈に浮き立たせる。
とはいえ、ただのフェティシズムだけの作品として読み進めていると足元をすくわれる。裏表紙のアオリ文で毎度「なーんてことない日常素描」と謳っている割に、本作は変則的ではあるものの、やっぱり青春を真芯で捉えているのだ。
いびつでなくて何が青春だ
絶対に公式戦に出られない部員、あるいは練習試合でも相手ピッチャーに内角を決して投げられない存在としてのザワの焦燥あるいは諦念。男子部員たちの、ポジション争いの一喜一憂と将来への打算、エースとしての孤独。そんなものを練り込んで、しかし淡々と日々は流れる。
突き放した描き方は、同時に強豪校の野球部が持つ、ある種の異常さも炙り出す。野球部員以外に友達もできず、監督や先輩の理不尽にも「サーセン」と言って従う。球場入りする野球部レギュラーを取り囲む部員達は、ほとんど自軍の特殊部隊を見ている兵隊たちのような物々しさだ。高校球児と云えば青春の代名詞だが、こうしたシーンを読むと幾許かのいびつさを感じる。
だがしかし、球児がいびつなら、サブレギュラー的に登場する鉄道オタクたちもいびつである。そして、ソフトボール部もバスケ部も吹奏楽部も、何かに全力で打ち込むならば、それはいびつさを伴う。バランスをとるという考えがないからこそ、青春というのは貴いのだろう。 時おり挿入される、未来から振り返っているかのような視点が、『はじめてのあく』(第95夜)でも触れた“後ろ向きの形でしか認識されない”青春の貴重さを、いやおうにも掻き立てる。卒業旅行の時の鉄道オタク氏の言葉に、自分のようなうらぶれた大人はハッとさせられるのではないだろうか。
高校球児の息遣いを、それ以上に様々な青春の形を垣間見れる貴重な作品と思う。
*書誌情報*
☆通常版のみ…B6判(18 x 12.8cm)、全12巻。電子書籍化済み。