100夜100漫

漫画の感想やレビュー、随想などをつづる夜

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第183夜 その苦界を愛した男の、稚気と危機と機知…『じょなめけ』

      2018/07/23

「癖かな……」「癖?」「俺ぁ子供の頃から茶屋で働いて/客が望むものをまず考えろとたたきこまれて育った/そういうのはもう抜けねぇよ/ずっと裏方でやってきたんだ/“板元”って稼業は世の中全部を客にした茶屋さ/だから俺はやれば最高の板元に……/日本一の裏方になる自信があるんだ」


じょなめけ 1 (モーニングKC)

じょなめけ嘉納悠天 作、講談社『モーニング』掲載(2007年7月~2008年1月)

 安永2(1773)年、江戸は新吉原。元禄の頃の絢爛豪華な花街としての賑わいも今は昔、界隈は寂れていた。
 そんな吉原への入り口にあたる吉原大門の傍で「へきら館」なる春画・春本屋を営む助平なお調子者がいた。蔦重こと蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう)。吉原で生まれ育ち、後に多くの絵師・戯作者を擁し数多の本を出版する地本問屋(出版社兼小売店)「耕書堂」を経営することになる男である。
 折からの不人気にテコ入れするため、吉原出入りの店主たちは蔦重の店で吉原ガイドブックである「吉原細見」を取り扱うよう命じる。が、当の「細見」は、板元の鱗形屋(うろこがたや)の慢心のために価格の割に内容はいい加減という代物。それをめぐって鱗形屋と喧嘩した蔦重は奮起し、よりよい「細見」を自分の手で作ろうと動き出す。過去に残した悔いを胸の内に秘めながら。
 学者ながら作家その他多くの肩書を持つ福内鬼外(ふくち・きがい)こと平賀源内(ひらが・げんない)。絵師の卵で師に複雑な思いを抱く勇助(後の喜多川歌麿[きたがわ・うたまろ])。吉原の出入り店主たちに再建を託され、蔦重の幼馴染の遊女みちはるの間夫(情人)でもある“京橋の伝蔵”(後の山東京伝[さんとう・きょうでん])。かつて一世を風靡しながら不振まっただ中の歌舞伎役者、中村仲蔵(なかむら・なかぞう)……。
 助平のあまり遊女たちに袋叩きにされることもしばしばながら、吉原の人々を案じる蔦重は様々な分野の才能たちを集め繋いでいく。「手前が楽しいと思ったモンしか売りたくねぇ」と豪語する蔦重のプロデュースは、果たして吉原に人を呼び戻せるだろうか。

呻吟する男たち
 ここ『100夜100漫』と直接関係ないが、ここのところ個人で電子書籍を出そうと画策中である。AmazonのKindleで割としっかりとしたものが作れるそうなので、事務的な手続きとどんなものを作るかの思案を並行して進めている(完成がいつになるかはわからないけれど…)。
 自分がそういうことをしているからか、にわかに蔦屋重三郎がマイブームだ。現代日本で「つたや」というと大手レンタルのTSUTAYAを思い起こすが、直接的な関連は無いようだ。蔦重は上に書いた通り、江戸後期の時代に生き、出版や広告、催事などを手掛けた人だ。
 物語の冒頭で出てくるのが吉原やら春画やらだし、タイトルの「じょなめけ」(作中の注記によると「からくりを小児に勧め促すの俗言」(守貞満稿82巻)とのこと)という言葉の秘密めいた響きもあってエロティックな漫画と思いかけるが、その実この漫画の本筋は、「新しいものをどうやって生み出すか」に呻吟する男たちの物語と云える。どういうものを作るかの企画会議、そうして出てきた案を絵師や板元(ちなみに現代での表記は「版元」である。当時は版の原板が木板だったためと思われる)に伝える打ち合わせ、出来たモノをどう売り込むかの算段といった場面は、絵的に極めて地味ではある。それでも面白いのは、やはり200年ほど前に彼らが実在して、作中の様子とそう違わない苦労をして仕事をしていたと想像できるからだろう。

賑々しきかな、江戸
 それでは、この漫画の絵的な要素としては何があるのか。まずは云わずもがな、吉原と女たちの描写だ。青年誌での連載作品であるために、それなりに裸体が描かれてはいる(時に当時の春画の模写すらある)が、もちろん肉感的な描写だけではない。花魁が街を練り歩く「花魁道中」などの煌びやかさも、いわゆる“投げ込み寺”だった西方寺の酸鼻も、“突き出し”の悲しみも、網羅的に描いている。「男の極楽、女の地獄」という名コピーは、同じく吉原を描いた安野モヨコ『さくらん』のものだが、この漫画でもそうしたニュアンスが無いわけではない。
 しかし、過度に悲惨さを押し出してもいない。そんな辛さを擁しながらも、蔦重は吉原そのものに異議を唱えようとはしないし、遊女たちもひたむきに、あるいはあっけらかんと日々を過ごす。蔦重や勇助が再三まき起こす桃色騒動を見ていると、この漫画自体が、当時の洒落本やら滑稽本のような感覚すら受けるのだ。
 更に、屋形船とそこから見る隅田川の花火や、初代中村仲蔵の演じた「忠臣蔵」五段目の悪役、小野(大野?)定九郎(おの・さだくろう)など、吉原以外の当時の江戸庶民が触れたであろう諸要素が描かれることで、陰鬱さよりは賑々しさが前面に出る。「とにかく面白いものは全部出そう」という、それこそ蔦重的な気風の良さが伺える構成なのだ。
 惜しむらくは3巻で「第一幕、終」を迎えてしまったことだが、この春(2014年4月)に出た小説、谷津矢車『蔦屋』が、この漫画から恐らく数年後の蔦重たちを描いている。主な舞台は吉原から日本橋へ移るが、宴席と人脈形成の場として吉原もたびたび出てくるし、何より吉原時代と同じように唸りながら新本の企画を練る蔦重たちの姿を追うことができる。蔦重たちの続きが気になる読者は、手に取ってみるといい。

*書誌情報*
☆通常版…B6判(18.2 x 13cm)、全3巻。絶版。

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