第131夜 ままならない日々と自分を嗤う強靱さ…『ゲゲゲの家計簿』
2018/07/22
「今日の出費は……/本とコーヒーで八百円…/義姉さんに三千円借りて……/家内に生活費を渡すと…/ゼロだっ!?」
『ゲゲゲの家計簿』水木しげる 作、小学館『ビッグコミック』掲載(2011年5月~2012年10月)
昭和26年6月。武良茂(むら・しげる)は神戸でアパートの大家をしながら紙芝居を描いていた。アパートの名前は水木荘。もの覚えの悪い版元からはアパートの名前で「水木さん」と呼ばれ、それが後のペンネームになるとは露知らず。多忙と貧乏にあえぐ日々なのだった。
兄弟やその家族との共同生活と、毎月のやりくりに追いまくられながらも、茂は上京を決意。東京では貸本漫画に転向し、戦記ものや怪奇ものを中心に、矢継ぎ早にペンを走らせる。移り変わっていく戦後の社会の中、結婚や長女の誕生を経ながらも、茂の創作と生活の奮闘は続く。
「フハッ」の軽妙さ
云わずと知れた日本の妖怪漫画家の第一人者、水木しげるだが、自分には戦中戦後を語る私史家というイメージもある。自分が物心ついた時には『ゲゲゲの鬼太郎』の3度目のアニメ化シリーズが放送されており、数年後には『悪魔くん』もアニメ化され、それらを観ていたが、当時『鬼太郎』が掲載されていた講談社の『コミックボンボン』よりも小学館の『コロコロコミック』派だったので、そこまで深入りはしなかった。その後、自分が10代半ばの頃にドラマ化された水木氏の少年時代を描いた『のんのんばあとオレ』を熱心に観たり、エッセイで氏の戦争体験について知ったり、2010年には『ゲゲゲの女房』が朝の連続テレビ小説になったり(これは氏本人ではなく夫人の原作だが)で、自分の中でそうしたイメージが固定されたようだ。
この漫画も、そんな水木私史の一端を垣間見ることのできる作品だ。独特なのはやはり、2011年になって新たに発見された当時の水木氏直筆の家計簿を、そのまま画稿に使用していることだろう。『武士の家計簿』という江戸末期のとある武士の出納を分析した新書とその映画化作品があったが、企画としてはそれに呼応したものと云えるかもしれない。水木家の当時の火の車っぷりは『ゲゲゲの女房』などでも描かれているが、やはり実際にお金の出入りが記させれていると生々しさが違ってみえる。
それにしても、困窮の真っ只中が描かれながらも、どこかコミカルな味わいがある。作者の性格によるところが大きいのはもちろんだが、作中の演出にもよるのだろう。
中でも「フハッ」「ムホーッ」などの擬音が秀逸だ。こういう特徴的な擬音は今に始まったことではなかろうが、本作のような自伝的色合いを持った作品で、その真価を現すように思う。「フハッ」ひとつにしても、単に「フハッ」だったり、「フハーッ」だったりあるいは「フハァ」だったりして、微妙にニュアンスが違う。そこには、期待はずれの落胆や、思いがけず巧くいった興奮、そして困窮の絶望があり、同時にそれらを我がことながら面白がる軽妙さがある。
普通に不屈
そんな飄々とした雰囲気を湛えつつも、毎月の金銭的綱渡りは極めてシビアだ。あてにしていた原稿料が貰えなかったり、出版社が倒産してしまったり、水木氏が一息つける日はなかなかやって来ない。
しかし、それでも作中の水木氏はくじけない。しかも、そんなに悲壮でもない。漫画を描いている時こそ、歯を食いしばったり鼻息が荒かったりと奮闘しているが、“漫画を描いて生活していくこと”自体については、基本的に力みがないのだ。ただひたすらに漫画のアイディアを出し、版元にかけあい、全力で作画し、完成させて原稿料を貰う。
不遇の時代が長くとも、そんな態度で普通に仕事を続ける姿は、何かを成そうと孤軍奮闘している読者にとって大きな励みになるだろう。手塚治が“漫画の神様”なら“漫画の妖怪”……いや、今に至っても衰えを知らず、91歳で新連載を始めようという精力から、漫画の仙人と云っても差し支えないのではないだろうか。
*書誌情報*
☆通常版…A5判(21 x 14.8cm)、全2巻。作者実弟および水木夫妻へのインタビュー記事を併録。電子書籍化済み。
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