第152夜 その追憶は、貴方を縛るものではなくて…『マイガール』
2018/07/22
「コ…コハル…/ママを大好きな人と一緒にいたい…」「ぼ…僕には/陽子さんと離れて生きていける方法なんて…/分かりません…/けど…/君がこれから送ろうとしている日々を…/僕は知ってる…/同じ気持ちを持ってるなら…/探す手伝いが出来るかもしれない…/じ…自信はないけど…/い…一緒に…/暮らしてみましょうか…」「はい…」
『マイガール』佐原ミズ 作、新潮社『週刊コミックバンチ』掲載(2006年5月~2010年8月)
笠間正宗(かざま・まさむね)は、文具メーカーの企画職として、企画書を出しては没を食らうという冴えない日々を送っていた。そんな彼に、ある日届けられたのは、5年前に彼を置いて留学してしまった4歳上の恋人、塚本陽子(つかもと・ようこ)が留学先で事故死したという報せだった。
茫然とする彼に、陽子には子どもがおり、しかもその父親は正宗だと告げる陽子の母。傷心に追い打ちをかけるような告白に思わず拒絶する正宗だったが、5歳になるその子――コハルと触れ、同じ気持ちを持つ者として、ともに暮らそうと決意を固める。
喪失感に包まれながらも、正宗や陽子の親、近所の家庭などと触れあいを重ねながら、2人の親子生活は続いていく。それは、消えない痛みを抱きながらも、前を向くための日々なのだ――。
“不在”の中央
佐原ミズという名前を、自分はまずアニメ監督である新海誠による初期作品『ほしのこえ』の漫画版作者として知った。端整な絵柄に淡い彩色は、あのアニメの叙情を余すところなく漫画にしていた。その瑞々しい作画に数年越しで再会することができたのが、この漫画である。
一読、やはり新海作品に通低するものを感じる。新海作品が、“隔てられる2人”を1つのテーマにしていることは改めて語るまでもないと思うが、陽子の死別を、その究極型として捉えることも不自然ではないだろう。
母不在の父と子という図式自体は、物語類型としてはありふれている。先日の『今日、カレー!』(第146夜)もそうだし、“父が知らないうちに育っている娘”という設定についても、ちょうど同じ頃に連載化された『おたくの娘さん』(第17夜)という類例がある。
それでも、その“不在”を中央に配置し、同時に暗鬱にならずに物語を転がすという芸当は決して凡庸ではないだろう。美麗でありながらも華美に走らず、どこか素朴さを残す画風が、それを引き立てている。
素直じゃない人
それにしても、なんて素直じゃない人物ばかりの漫画だろうか。ここで云う「素直じゃない」とは、俗に云う“ツンデレ”だけを指しているわけではない。正宗の母のようなツンデレは可愛いもので、正宗やコハルのような、一見して聞き分けの良い「いい子」が、納得したように見せておきながらそのじつ納得していないことの方がよほど素直じゃないというのだ。それは、臆病に起因する我慢、と云い換えることができるのかもしれない。
特に正宗が抱いている、ほとんど諦念のような気持ちは、父娘の再生の大きな障害だ。陽子を思うあまりのそうした思いは、大体にして優しい面影をしているから性質が悪い。
ここに至って、この漫画は、正宗のような“素直じゃない”人が、どうやって前を向くかを描いた物語だ、ということに読者は気付くだろう。臆病のあまり自分の“本当”を我慢していた人が、自分の意志で新しい何かを掴み取ろうとする姿に、自分は少し涙が滲んだ。
“不在”による悲哀と再生が前面に捉えられがちな作品には違いない。が、その根底にある“素直じゃない”人々のいじらしさこそが、特に自分のような同類な読者の胸を打つのだと気付かされる漫画である。
*書誌情報*
☆通常版…B6判(18 x 13cm)、全5巻。電子書籍化済み(紙媒体は在庫僅少)。