第142夜 子育ても仕事もテンション上げて…『ママはテンパリスト』
2018/07/22
「ママー/おっぱいだしな?」「……やだ」「あ~~/ごっちゃんねぇ~/おねつ でちゃってるのよォ」「ウソつけ!!/来んな!!/こっち来んな」
『ママはテンパリスト』東村アキコ 作、集英社『月刊コーラス』掲載(2007年6月~2011年5月)
29歳で出産した作者(東村アキコ)。それから2年。作者は、2歳になった息子のごっちゃん(本名は悟空)の“クソばか行動”に翻弄されつつ、それでも複数の連載を抱えていた。
原稿作業に汲々とする作者に襲いかかる、ごっちゃんのやりたい放題。こぼす! 漏らす! 母乳をねだる(4歳になっても)! さらにはどこまでもマイペースな言動で母の精神をケズりにかかる。
しかし母も歴戦の漫画家。息子の出方に意表を突かれつつも、お化け、鬼、魔女、閻魔大王と、なりふり構わない演技力で息子の怖がるコンテンツを駆使して鎮圧にかかる。
仕事と子育てを両立する大変さにくじけそうになりながらも、アシスタントや編集の力を借り(編集さんにはたまには逆に苦しめられ)つつ、どうにかこうにか母親としてやっていく作者。そして今日も、ごっちゃんの予想外なアクションが母をテンパらせるのだった――。
幼児×作画ד止め”=破壊力
「『きせかえユカちゃん』という漫画があって、ユカちゃんのお母さんはいつも警察に怯えてるんだけど、それが面白い」という話を知人から聞かされた時、自分にはすぐに意味が理解できなかった。が、同じ東村アキコの『ユカちゃん』より先に、この漫画を読むに至り、何となくその空気を把握した次第だ。
分類に少し困るが、やはり作者はギャグ漫画家だ。本作は作者自身とその愛息の日常生活および毎日の仕事ぶりに取材した実録漫画でありながら、時に創作を上回る破壊力のギャグを味わわせてくれる。
主人公(?)ごっちゃんの言動やリアクションが、素の状態(漫画以前の段階)で大人の常識の斜め上をいくギャグセンスに満ちていることは云うまでもない。しかし、そのおかしさを界王拳のごとく数倍に引き上げているのは母(作者)の描写に他ならないのだ。
特に、それまでの流れを断ち切るかのように挟まれる大ゴマ(たいていごっちゃんの奇行を写実的に描いている)と、それに続く一瞬の“止め”がよい。この“止め”の演出と、確かな作画センスを持ちながらも意図的に崩して作画するスタイルには、うすた京介『すごいよ!! マサルさん』(第7夜)的なものを感じるとともに、ハイテンション&ぶっちゃけたネーム(台詞回し)には岡田あーみん(第96夜)を想起させられる。
作者が大阪で3年ほど漫画修行を積んだことが、岡田あーみん(大阪在住)と共通する感覚を養ったとしても驚かない。しかし、作者が九州(宮崎)出身であることは、以前の熊本とギャグ作家についての仮説(第121夜)を、「九州には強力なギャグ作家を醸成する“何か”があるのでは」という妄想に拡張する。
そんなギャグ漫画界の巨頭を彷彿とさせる作風でありながら、実録漫画であることを思い出し、読者は再び驚くだろう。ごっちゃん以上に、その製造者であり、この漫画の制作者でもある作者自身に驚嘆すべきなのだ。
現代ママ漫画家の生態
作者自身に着目して読めば、全編あとがき漫画的なノリを有すこの作品の向こうに、子育てに追われながらも現代の最前線で格闘する多作型ギャグ漫画家の生き様が浮かび上がる。
まだ分別のない息子と同レベルで渡り合い(鬼の演技とか)、業界の奇特な面々(主に編集)に翻弄され、時には同業の漫画家とシビアな金の話(青色申告か白色申告か等)をしたり自治体の子育て支援に苦言を呈すその姿は、実際にはもっと涙ぐましいものではないだろうか。作中において、テンパるどころか全て投げ出しかけて、ギリギリ踏みとどまったことを示すくだりが一度ならずあるが、よく乗り切ったものだと思う。
息子が可愛いとはいえ、そんな大変な毎日が、なぜハイパーテンションギャグ漫画になるのか。ひとえにそれは、作者がギャグ体質だからに他ならないだろう。
ギリギリの状況下において、我が子や自らの言動をここまで戯画化し、赤裸々に描く姿勢を貫くところには、作者のギャグ魂というか、もはや作家としての業のようなものすら垣間見る。そして、そうまでして息子を突き放して描き、時には大げんかをしながらも、息子を思って作品を締め括ったところに、ひとりの親としての責任感も感じるのだ。まさに、現代に生きるママタレならぬママ漫画家の生態を当事者みずから描きだした、貴重な一作と云えるだろう。
*書誌情報*
☆愛蔵版(という名称だが、これが通常版と思われる)…A5判(21 x 14.6cm)、全4巻。電子書籍化済み。