第190夜 海を渡った会津者たちの夢の果て…『White Tiger〜白虎隊西部開拓譚〜』
2018/07/23
「黄金を夢見た者も/故国で行き場をなくした者も/覚悟して海を渡りここに行きついた/ここで生きていくほかないのだ/異国で生きるとはそういう事だ」
『White Tiger〜白虎隊西部開拓譚〜』夏目義徳 作、集英社『グランドジャンプ』→「GRAND JUMP WEB」掲載(2013年1月~2014年2月)
1868(明治元)年、戊辰戦争の一局面である会津戦争において、会津藩は敗北した。幕府への忠節を守って戦った会津に対し、しかし戦後の仕打ちは苛烈なものとなる。
略奪が繰り返される城下で、砲術(銃)の才能を持ちながらも戦えず、腹も切れなかったことに慚愧の念を抱く白虎士中二番隊隊士、白石鶴之助(しらいし・つるのすけ)は、同じ年頃の少年少女に出会う。白虎寄合二番隊隊士で剣に秀でる安藤英虎(あんどう・ひでとら)、そして鶴之助の恩師である会津藩軍事顧問である平松武兵衛(ひらまつ・ぶへい)ことヘンリー・シュネルの屋敷で子守りをしていた少女、おけいである。
無残な姿となった会津に心を痛めたシュネルは、アメリカに会津の町をつくる事を提案、その移民団へと鶴之助たちを誘う。旧藩士の桜井松之助(さくらい・まつのすけ)、大工の増水国之助(ますみず・くにのすけ)、商人や農民たち、およそ20人での船出だった。
船旅を終え、アメリカへと渡った一行だったが、そこでも困難の連続が彼らを襲う。多様な人種が入り混じる社会の中、それをめぐって巻き起こる事件を経て、鶴之助の銃の才は覚醒していく。
しかし、ようやく建設された開拓地“若松コロニー”での暮らしは厳しく、追い込まれていく移民団。起死回生を狙った鶴之助と英虎の運命は、皮肉なものへと捻じれていくのだった。
荒野をさまよう白き虎たちの夢の果ては、どこか――。
行き場を求めて
この秋、初めて会津若松を旅してきた。同地に住む古い友人の案内で、鶴ヶ城や白虎隊終焉の地である飯盛山を回ってきたのだが、案内や展示物の説明からは、かつて会津が嘗めた辛酸が滲み出てくるようで、話に聞いただけで分かったつもりになっていた会津戦争当時の苦しみや喪失感を、改めて知らされた思いがした。
そういう喪失感からなのかは今ひとつ不明だが、元武器商人と云われる藩の軍事顧問ヘンリー・シュネルがアメリカへの移民を提案し、実際にカルフォルニアのゴールド・ヒルに若松コロニー(Wakamatsu Tea and Silk Colony)という開拓地を設け、そして最終的に失敗したのは史実だ。このことを下敷きに、同地に墓が残る少女おけいの道連れとして、行き場をなくした白虎隊隊士の少年2人をアメリカに渡したこの漫画が纏う雰囲気は、一言で云うと悲愴だ。
もちろんゴールドラッシュに沸くアメリカ西部の雰囲気に、新天地にやってきた日本人たちが抱く希望が重なる前向きなシーンもある。連載時に放映されていた(というよりも、そちらにあわせてこの漫画が企てられたのだろうけれど)NHK大河ドラマ『八重の桜』の山本/新島八重が端役として登場したり、会津の人々の言動が「ならぬものはならぬ」で知られる“什の掟”を踏まえていたりという面白さもある。しかし、全体を彩るのは、居場所を無くした人々が新しい居場所を求めて彷徨い苦闘する時の、不安や焦燥なのだ。
緩慢な失敗の末
一方で、銃の才能を持つ鶴之助と、剣の名手である英虎の、銃弾と剣戟が入り混じった戦いを潜り抜けての成長は、まさしく少年漫画的でもある。しかし、それが少年漫画的な輝かしい未来を予感させるだけに、緩やかに失敗していく若松コロニーの描写が深い影を落とす。真っ直ぐな“少年の成長物語”と見せかけて描かれる、必ずしも真っ直ぐではない“少年から男への変容”は、それだけにリアルだ。
そして、失敗に続いての若松コロニーの頓挫は、この漫画が史実に忠実である限り、避けられない。後世に生きてそのことを知っている読者は、その“避けられなさ”に、祈るようにページを繰ることになる。『ジョジョ』6部に登場するドナテロ・ヴェルサスのスタンド“アンダー・ワールド”は、「“自動車が道路を走った”“飛行機が墜落した”というような“その場所で起こった出来事”を再生し、必ず同じ結末を辿らせる」という能力を持っていたが、あのスタンドによる攻撃を受けた空条徐倫(くうじょう・ジョリーン)たちと似た感覚と云えるだろうか。
そうした暗さを含んだ漫画ではあるけれど、伝記漫画的な側面と、乾いた画で綴られる後半のハードボイルドタッチな展開の共存には中々の妙味がある。全3巻を一気に通読すれば、幕末から西部という、時代と場所のグラデーションを味わえるだろう。
*書誌情報*
☆通常版のみ…B6判(18.2 x 13cm)、全3巻。電子書籍化済み(紙媒体は絶版)。