第113夜 命のため、“異端者”はメスを振るう…『アスクレピオス』
2018/07/20
「一般的に“外科医”と呼ばれる人達の仕事は/創傷治療や肢体切断術…解剖手などです/胸腔内や腹腔内の手術は/教会の認める医術の中には存在しません…/ぼくらはそれを1000年以上も続けてきました/だから/追われているんだと思います…」
『アスクレピオス』内水融 作、集英社『週刊少年ジャンプ』掲載(2007年4月(読切)~2009年2月)
中世ヨーロッパ。キリスト教会が絶対的な権力を保持していたこの時代、教会から異端と認識されることは死とほぼ同義だった。そんな時勢にあって、教会から「切り裂き魔」として忌み嫌われ、人々からは恐れられた異端の家系があった。
メディル家。それは、当時の医療としては決して認められなかった“人の身体に刃を入れる”外科的手術のノウハウを独自に積み上げ、怪我や病気に苦しむ人々を救ってきた“アスクレピオス”の家系だった。
その現当主、バズ・メディル・アスクレピオスは、教会に追われる身であることから、なるべく目立たないことを旨として隠遁していた。しかし、メディル家の従者の家系であるテレスフォス家の当主の少女、ロザリィ・テレスフォスと出会い、自らの左手に備わった人体の命を視る力“神の目”とともに、正式に“アスクレピオス”の名を受け継ぐことを決心する。
お調子者の道連れパレを加えた一行は、教会権力とその配下である聖騎士に常に追われながらも旅を続ける。多くの患者を救い、その署名で血命録(ビブロス)を埋めた時、“アスクレピオス”の異端認定が解除される、その日まで――。
歴史と飛躍
自分は医学部どころか理系でもないのに、なぜか知り合いに医師が多い。その関係もあって一時期は医学の歴史の本などを何冊か読んだのだが、全ての基本は内科で、外科はむしろ後発の領域なのだと知って不思議な感じがした。
ご存知の通り、漫画の世界では手塚治虫『ブラックジャック』を皮切りに、真船一雄『スーパードクターK』も山本航暉『ゴッドハンド輝』も村上もとか『JIN-仁-』も乃木坂太郎『医龍』も、みんな主人公の専門は外科である。外科医には手術というある意味でハイライトがあるため、漫画的に話が作りやすいからだと思うが、史実においては割合が逆のようだ。まさか本作のように異端として殺されはしなかったと思うが、外科の地位は低かったようだし、初めて精緻な解剖を行った功績が今も残る大家アンドレアス・ヴェサリウスにしても相当変人と思われていたようだ。
そうした外科成立以前の事情を少年漫画的に取り扱ったのは、恐らくこの漫画が初めてだろう。中世ヨーロッパの騎士や戦いを描く漫画は飽和状態になって久しいが、そこに医学――しかも教会権力によって異端視される外科――という要素を持って来る発想は独特だ。しかも無影灯をカンテラで、麻酔や点滴を当時入手可能な物質や生薬で代替するなど、現代医学に匹敵する機器を中世的道具立てで成立させている、そうしたディテールも面白い。歴史から想を得て、そこから飛躍させるという、漫画創作のオーソドックスな手法だが、それがうまく噛み合い功を奏した好例だろう。
医師の“戦い”
とはいえ、コミックス3巻で完結している事実は、この漫画がジャンプのアンケートではあまり評価されていなかったことを示してもいる。バトルやラブコメが主体となるジャンプにおいて、医療漫画が人気を博さなかったというのは頷ける。
しかし自分の感覚として、バズを守る従者として獅子奮迅の肉弾戦を見せるロザリィと同じ程度に、主人公バズは戦っているのだ。彼の敵は自分を異端として追い回し、時にはバズを捉えるためだけに人に危害を加えさえする教会権力であり、もっと直接的には人々の命を脅かす病気や怪我だ。
教会の異常なまでの強権的態度に対抗するバズの意志という意味で、前者も胸を昂ぶらせてくれるが、やはり真骨頂は、病気や怪我に相対した時のバズの、外科医としての覚悟と眼差しである。時には自分の命を削ってまで患者の命を救おうとする姿は、やはり“戦い”と云っても過言ではないだろう。
“アスクレピオス”とは、元々ギリシア神話に登場する医者で、今では医学の神とされている。その子孫とされているのが「医学の父」と称されるヒポクラテスだ。そのヒポクラテスが立てた誓いは、現代日本でも医師養成の一環として医学生に教えられているという。
その一節に曰く、「自身の能力と判断に従って、患者に利すると思う治療法を選択し、害と知る治療法を決して選択しない」。かつて教会が強大な権力を誇った時代、“誓い”に従い、教会権力と数多の病苦に立ち向かった外科医は、確かに居たのかもしれない。そう思わせてくれるだけの力を感じる一作だ。
*書誌情報*
☆通常版のみ…新書判(17.6 × 11.4cm)、全3巻。電子書籍化済み(紙媒体は絶版)。