第181夜 人生の何気ない1コマに微笑せよ…『雲の上のキスケさん』 | 漫画のレビュー&随想 | 100夜100漫

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第181夜 人生の何気ない1コマに微笑せよ…『雲の上のキスケさん

      2014/07/21

「いつもなら目にもとめないチラシの ありふれた一行が/今夜は あたしたちの胸を打つ/“出会いがすべて”/「会えてよかったね」/他に言葉がみつからない/そんな夜」


雲の上のキスケさん (1) (ヤングユーコミックス)

『雲の上のキスケさん』鴨居まさね 作、集英社『ヤングユー』掲載(1997年年5月~2003年12月)

 雨が嫌いな石井眉子(いしい・まゆこ)は大企業に勤める28歳のOL。同僚で恋人の城戸暎(きど・あきら)に勧められ事務から営業職に移ったが、営業部のホープだった暎の営業成績も追い抜いてしまい、そのことがしこりとなって振られてしまう。
 その夜、やけ酒を飲む眉子に声をかけてきたのは、日光アレルギーのお笑い漫画家、小寺器裕(こでら・きすけ)。キスケさんは眉子の話を面白がり、眉子は「ギャグ漫画のモデルとして」スカウトされる。そうして、2人の日々は始まった。
 穏やかに、仄かにエロく。逢瀬を重ねる2人。やがて眉子は会社を退職し、高校時代の同級生の2人、ゲイで元美容師の岡本太郎(おかもと・たろう)と、華僑系シンガポール人のマニー・ンーの誘いで死海エステに勤め始める。
 怖い店長と面倒なお客に悩まされながらも、徐々にエステの仕事を覚え自分の体調も上向いていく眉子。担当編集が替わり、その相性の悪さに辟易しつつも自分の作風を深めていくキスケさん。それぞれの課題と向き合ったり向き合わなかったりして、2人の恋と、色々な人との関わりの日々が続いていく。

人ひとりの人生の情報量
 自分にとって、読むのに非常に時間がかかった漫画である。ネーム(台詞やモノローグ)が格別に多いわけではないし、難解なわけでもない。それでも時間がかかるのは、登場人物や設定など、詰め込まれた要素が多彩だからなのかもしれない。
 なにより眉子とキスケさんという、「三十路に差し掛かった大人の2人が織りなす(大人なので当然)ちょっとエロティックな恋を描いた物語」であることは疑いがないが、それ以外にも「キスケさんのお笑い漫画家物語」とか「マニーと岡本たちによるエステ&ビューティ企業物語」といった読まれ方をも許されるだろう。それ以外にも、“大人の男が集まって夜な夜なカブトムシを採りに行く”とか“20代にして頭髪も薄い男性のもの凄い疲れ具合”といった小さなエピソードが散りばめられており、とても全5巻というコンパクトな分量とは思えない豊穣さを示している。
 この豊穣さとは、すなわち1人の人間が生きることの情報量の多さということではないだろうか。眉子は冒頭で自らを指して「何にもない」と云う。けれど、誰であっても「何もない」などということは有り得ない。人生の来し方行き方を掘れば尽きぬほど要素が溢れてくるということを、キスケさんが自分の作品のネタとして掘り起こそうとする形をとって、この漫画は暗示しているように思う。
 もちろん、分量に比して要素が多いことは良いことばかりではなく、消化不良に思える人物設定なども少なからず存在している。それでも、それらが十分に語られないことがまた、逆に人物に深みをもたしているように思えてくるから面白い。

短歌の心と素直さ
 そんな風にあれこれと作品中に漂う要素たちを語る、作者のセンスは短歌的な気がする。歌人の桝野浩一は鴨居漫画の「最古のファン」と云い、この漫画の帯を書いたり、他にもお互いの著作から交流が伺えるが、それは恐らくは鴨居漫画の短歌的な部分に、歌人が共鳴したということではないだろうか。
 眉子とキスケの手が絡む一瞬や、会いたい思いが募る夜、戯れに糸電話で話す場面。あるいは自分を内省する眉子や、ネームを考えながら思考を垂れ流すキスケ。あるいは眉子とマニーの二人旅の一コマや、キスケと旧友のファミレスでの掛け合いなど。
 ともすれば冗漫になりそうなそうした事どもが、印象的な一瞬をぴたりと切り取られて示されている。そうすることにより、この漫画は溢れるほどの要素を有しながら、個々のページには余韻を味わう余地が生じているように思う。こうした作者の手つきが余計に、自分のこの漫画を読むスピードを落とさせているのかもしれない。
 そんなアグレッシブな語られ方なのに最後まで安心して読めるのは、主人公2人の明るさと素直さによるものだろう。仕事上の困難は絶え間なく、時には恋の行く手がおぼろに霞むことすらもあるが、真っ直ぐに育ってきた大人である2人は、それを笑い飛ばし、あるいは相手の言葉を真摯に受け止め、時には多少強引にお互いの距離を埋めるパワープレイに出て、いっしょに歩いて行ける。東京都心、大企業、エステ、漫画家という、描き方によってはハイソチックになりかねない道具立てに反して、素朴な味わいが嬉しくなる快作である。

*書誌情報*
☆通常版…B6判(18 x 13cm)、全5巻。
☆文庫版…文庫判(15.2 x 10.8cm)、全2巻。

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