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漫画の感想やレビュー、随想などをつづる夜

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第88夜 少女達の絶望と、公権力の暗部…『ブラッドハーレーの馬車』

      2018/07/14

「自分の肉体(からだ)がどんな事になってるのかよく判らない……/ああ……ただ ひどく苦しいの/こんな苦しみが まさかこの世にあったなんて……/あら…駄目よ/もっと楽しい事を考えなきゃ……」


ブラッドハーレーの馬車 (Fx COMICS)

ブラッドハーレーの馬車沙村広明 作、太田出版『マンガ・エロティクス・エフ』掲載(2005年3月~2007年9月)

 とある時代のとある国。孤児院の少女たちは、その馬車を心待ちにしていた。それは、資産家で貴族院議員でもある公爵ニコラ・A・ブラッドハーレーの養女となり、公爵の経営する劇団「ブラッドハーレー聖公女歌劇団」に迎えられる馬車である。全国の孤児院から毎年幾人かの少女が、周囲の羨望の眼差しを受けながらその馬車に乗った。
 しかし、養女として馬車に揺られていく少女の数は、実際の劇団員の人数よりも遥かに多かった。
 “ヘンズレーの暴動”。この国でかつて起こった、刑務所の囚人・看守の計37人が死亡した集団脱獄・暴動事件だった。国は、事件の再発を防ぐため、“対策”を講じた。
 それは、長期・無期服役者の性的欲求・破壊欲求を満足させるために、年1回、少女を与えるというものだった。この『1/14計画案』、通称“パスカの祭り”と呼ばれる文書を発議し、実行に移した人物。その名は貴族院議員ブラッドハーレー。
 希望から絶望のただ中に叩き落されて、幾人もの囚人に破壊され、もがく少女たち。一度“祭り”の供物になれば、もうどこにも帰ることはできない――。漆黒に沈む少女たちの姿を、連作オムニバス形式で描く。

普通にあること
 日本探偵小説の先駆者、江戸川乱歩の短編に「人でなしの恋 」という作品がある。そこからタイトルを拝借した画集において、本作の作者、沙村広明はいわゆる“責め絵”の才能を披露している。奴隷のように扱われ、斬られたり貫かれたりと酷薄な責め苦を受けて半ば絶命している少女達の姿は、見る者に強い衝撃を与えるだろう。凄惨な斬りあいを描写した『無限の住人』や本作も、同じベクトル上にある作品と云えるだろう。
 孤児の少女が公権力によって囚人達の慰み者にされ絶命するという内容に、眉を顰める人は多いだろう。無理強いをするつもりはない。ただ、これまでの実際の歴史の中で、夥しい数の少女がこんな風に死んでいったのではないか、と想像することは無益ではないだろう。恐らくは、その想像はあまり誤っていない。いま現在であっても、広大な世界のどこかで少女の肉体を破壊する行為が普通に行われているかもしれないのだ。本作には、読者にそうした想像を強いる力がある。

その傷跡
 ショッキングな作品として有名な本作だが、直接的な描写が多いわけではない。描写の刺激性について云えば、前述の『無限の住人』や、『殺し屋1』(第4夜)『職業・殺し屋。』(第66夜)の方が上だろう。しかし、直接に描かないからこそ際立ってくる痛みというものもあり得る。囚人達に蹂躙された後、少女達は手当てを受けて寝台に横たわる。その身体に刻まれた傷跡は、生々しい痛みを読む者に伝えてくるのだ。
 漫画・アニメといった現代サブカルチャーにおける“包帯の少女”というイメージは、『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイ(更に遡ればロックバンド筋肉少女隊の「どこへでも行ける切手」に出てくる「包帯で真っ白な少女」というフレーズ)に端を発するものだろう。その、死を予感させる憂いを含んだ様子は、もともとのミステリアスさと相まって彼女を人気ヒロインに押し上げたが、本作の包帯少女達は、レイよりもっと死に肉薄している。
 少女達は、希望を願いながらも無造作に死んでいくことを受け入れざるを得ない。悲惨な死に違いないが、そこに痛みに似た感動を感じると云ったら、非人間的と罵声を浴びるであろうか。それは、恐らく“責め絵”を見た時に抱くのと同じ種類の、良識や規範などを超えて働く感情の発露なのだ。

*書誌情報*
☆通常版…B6判(18 x 12.8cm)、全1巻。電子書籍化済み。

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