第5夜 1955年、広島。その記憶が枷だった…『夕凪の街 桜の国』
2018/06/27
「もうきょうかぎりあえぬとも/おもいではすてずに/きみとちかったなみきみち/ふたりきりで/さーかえろう」
『夕凪の街 桜の国』こうの史代 作、双葉社『WEEKLY漫画アクション』2003年9月、『漫画アクション』2004年7月
夕凪の街。
終戦から10年後の広島。地元の小さな会社で働く平野皆美(ひらの・みなみ)は、母と二人暮し。あの時の記憶とともに、その身体には今も火傷の跡が残っている。街は復興し、更に発展へと向かいつつあるが、自分の身体と過去に囚われ、皆美は幸せを掴むことができなかった。しかし、同僚の打越(うちこし)から思いを告げられ、少しだけ前に進むことができるように思われた。しかし、あの時のことは、まだ終わっていなかった。
桜の国。
東京。戦後50年を過ぎ、人々は平穏な日々を過ごしていた。石川七波(いしかわ・ななみ)は日常を謳歌しながら大人になる。病弱だった弟の凪生(なぎお)も無事に成長し、医学生として慌しい日々を過ごしていた。
ある日、二人の父は忽然と広島へと旅立つ。不審に思った七波は着の身着のままで家を飛び出し、たまたま行き会った幼馴染の利根東子(とね・とうこ)と共に後を追う。それは、自分と弟、そして母や祖母、そして父の姉を辿る旅の始まりだった。
夕凪の光景
たった一つの幸せをやっと手に入れたのに、それを手放さなければならないことを知った時、人はどんな表情をするのだろう。本作の前編では、その表情を見ることは叶わない。しかし心には重く響く。
主人公の皆美は可憐である。広島弁ネイティブであろう作者による台詞回しによって、数割増しに魅力的に見える。その可憐さに加えて、序盤で描かれる光景があまりにも平和で、挿入される過去の悲惨なカットがありながらも再生へと向かう物語と解釈できてしまうが故に、その後の展開の衝撃は大きい。30ページほどの短編でこれだけの感情を噴出させられることについて、名作と云う外はない。
また桜の咲く頃に
後編にあたる「桜の国」は現代が舞台である。主人公も弟も、前編で起こったことの影響下にある。主人公は旅先の広島でそのことを知り、同時に幼少期の出来事と向き合っていくことになるのだが、現代から、回想でも虚構でもない、過去の出来事へと遷移していくシーンが巧みである。
明らかに前編の時代に引き摺られていながら、単に広島を見舞った出来事への批難にはなっていない。そんなことがあったにもかかわらず脈々と受け継がれてきたことへの、感謝というか、慈しみというか、そんな感情が読み取れる。本編はハッピーエンドといっていいのではないか。前編の倍以上の分量ではあるが、それでも60ページ強、両編併せて100ページ弱である。コンパクトな物語で万感を掻き立てられる、凄い1冊だ。
*書誌情報*
☆通常版…判型:B6判(20.6 X 14.6cm)、巻数:全1巻。電子書籍化済み。
☆文庫版…判型:文庫判(15 x 10.6cm)、巻数:全1巻。絶版。