第16夜 少女の言葉はふわふわと人の営みを映す…『ともだちパズル』
2018/07/19
「もうヒミツなんか/どっちでもええわ/わたしみゆきちゃんやっぱりすき/だいだいだいすき」
『ともだちパズル』おーなり由子 作、集英社『りぼんオリジナル』掲載(1988年12月~1990年3月)
矢野ようこは関西で暮らす小学3年生の女の子。仲良しはみゆきちゃん。空想が好きで、絵はちょっと苦手。お父さんもちょっと苦手。動物は好き。友達とけんかをして仲直りしたり、公園で出会ったお兄さんとシャボン玉で遊んだり、親戚のお姉さんと夏を過ごしたり――そんななんでもない日々。
どこにでもある日常だけど、ようこの心には一瞬一瞬さまざまな感情が去来する。喜怒哀楽だったり、そのどれでもない感情のあわいだったり。そんな名前のない気持ちを丁寧に繋ぎ合わせた連作短編。
書き言葉の大阪弁
中学生2年生の頃、成績は自分の学生生活の中でも最低だったが、国語の成績だけはよかった。国語の先生は大阪弁を喋る女の(といっても、おばさん、という感じの年回りの)先生だった。関東の公立校に、なぜ大阪弁の先生が居たのか今考えると少し不思議だが、きっと結婚などでこちらに来たのだろう。国語は好きでも嫌いでもなかったが、その先生はよく自分の作文に花丸をくれた。授業でも、大阪弁全開である。そしてたまには先生自身が子どもの頃、どんなことをして遊んでいたか、雑談交じりに話してくれたのを憶えている。
この作者の作品を読んでいると、その先生の言葉の抑揚を思い出す。おーなり由子もまた、関西の出身である。書き言葉で方言を表現するのは、簡単にみえるが、恐らくネイティブにしか分からない呼吸があるだろう。裏付けはないものの、本作を読んでいると確かにそう感じるのだ。ファンタジー的な描写が無いにもかかわらず、限りなく絵本に近い漫画(実際、作者は本作を描いた後で絵本に接近していく)というスタイルの中で、この書き言葉による方言は、素朴な画風の力とも混じりあい、読者の心中をふわふわとたゆとう。
似た感覚に陥る作品というと、芦奈野ひとしの作品や、メルヘンチックな時のさくらももこの作品などが思い浮かぶが、厳密にはそれらとも違うと云わなければならない。それはやはり、書かれた言葉がもたらす飛翔感の賜物なのだろう。
ダイアログ(対話)とモノローグ(独白)
ふわふわしていながらも、本作の主人公ようこの視線は鋭い。本人がそれと気付かぬ友情や思慕や哀歓を、それでもやさしく拾い上げようとする。それらは大阪弁によるモノローグで行われるし、あるいは少女の控えめな言葉として、当人に伝えられもする。
他者に対して「怖い」という気持ちはありながらも、それでもおずおずと言葉を呟くこの主人公は、月並みに云えば愛に溢れている。誰でも傷つけば痛いし、褒められれば嬉しい。そんな当たり前で誰もが“横に置いて”いることを、愛すべき愚かしさで持ち出してくる、その様に共感してしまう。そんなところに、自分は惹き付けられ続けているのだろう。
*書誌情報*
☆通常版…新書判(17.4 x 11.4cm)、全1巻。絶版(プレミア化中)。
☆文庫版…文庫判(15 x 10.6cm)、全1巻。単行本未収録作品2編収録。「あとがき」あり。