第25夜 読書の視覚化…『黄色い本 ジャック・チボーという名の友人』
2018/07/03
「実っコ/本はな/ためになるぞう/本はな/いっぺえ読め」
『黄色い本 ジャック・チボーという名の友人』高野文子 作、講談社『月刊アフタヌーン』掲載(1999年10月[表題作])
ロジェ・マルタン・デュ・ガール著/山内義雄訳『チボー家の人々』(白水社)。ハードカバー版全5巻、新書版では全13巻にも及ぶ長大な大河小説である。第一次世界大戦前夜から始まる、このフランス文学の名作を、日本の北国の女子高生、田家実地子(たい・みちこ)は熱心に読みふける。学校へのバスの中、学校、家の机、寝床。書物との交感により、実地子の意識はあちらへ飛びこちらへ飛び、現実の見え方もくるくると変わる。読み進むうちに季節は移ろい、実地子は就職を決め、卒業を迎えようとしていた。
表題作のほか、他作品のリビルド作品、引っ込み思案でセクハラに悩んでいたOLの顛末、訪問ヘルパーの一日の合計4編を収める短編集。
本が彼女を支える
本作に触発されて『チボー家の人々』を新書版で全13巻買い集めたのだが、まったく手を着けていない。これはひとえに自分の怠慢に他ならず何も云えない。ただ、にもかかわらず、この表題作は面白く読めてしまうのだ。しかも、あまり他に類のない面白さだ。
「萌え」とかそういう言葉とは全く無縁で簡素な画で綴られるのは、1人の女子高生と1冊の本による読書体験。他にも周囲では色々な出来事が起こったり起こらなかったりしているが、それらは遠景である。あるのはただ、『チボー家の人々』という作品との対話のみ。
読書をしていて、その作品の中に入り込んでしまい、登場人物を身近に感じることはないだろうか。本作ではそうした“対話”の在り様を巧みに見せてくれる。普段あまり意識しない、読書時に頭の中がどうなっているかを図解されている気分だ。
選んだ書物が『チボー家~』であることも、特徴的である。恋に恋する女子高生がロマンス小説を読むのとはわけが違う。青春期の外に向かおうとする力を、本の言葉が支える。卒業していく彼女に、本から贈られる言葉には不思議な感動がある。
後ろを付いて回る視点
表題作だけでなく、収録されている他3篇にも云えることだが、コマを描写するカメラワークがドキュメンタリー的なことも特徴であろう。いわゆる“見切れた(=フレームに人物の全体が収まらない)”コマがあることによって、ドラマ感が減じて日常感が増す。主人公が『チボー家』を読みながら、その主人公ジャックの後ろを付いて歩いていくのと同じように、読者もまた、本作の主人公の後ろを付いて歩いて、その生活を盗み見ることができる。このようにして、ジャック←実地子←読者という入れ子状になった不思議な読書構造をつくり出している点も、実は魅力になっていると云える。
*書誌情報*
☆通常版…A5判(21 x 14.6cm)、全1巻。