第31夜 ビッグ・マイナーの“笑えるけど壮絶”な日々…『失踪日記』
2018/07/07
「私は取材旅行にでていた(そーゆーことにしといてください)」
『失踪日記』吾妻ひでお 作、大田出版『夜の魚』掲載(「夜を歩く」のうち「夜の1」のみ;1992年10月)+コアマガジン『お宝ワイドショー』掲載(「街を歩く」;2002年)+書き下ろし
1989年11月、1人の漫画家が「タバコを買いに行く」と言って仕事場を後にした。そして戻ってこなかった。吾妻ひでお。SF、ロリコン、ナンセンスギャグといった作風でマニアックな人気を博していた漫画家である。
「取材旅行にでていた(そーゆーことにしといてください)」として、深夜の街を徘徊し、ゴミ箱を漁っては林の中に築いた住処に帰る、不思議に優雅な暮らし。警察に保護されるも二度目の「旅行」に出て、市中の労働者になったり、そうこうしているうちにアルコール中毒になり、病院に入れられたり。決して洒落にならない人生の道行きを、エンターテイメントに昇華して描く実録漫画。
誤解の効用
偉大なるカルト漫画家、すなわちビッグ・マイナー(big minor)吾妻ひでおを知ったのは、例によって父の本棚によってである。『ハレンチ学園』を思わせるナンセンスエロティックギャグ漫画『ふたりと5人』が、自分にとって最初の吾妻体験だった。上品とは云えない内容に小学生なりに辟易しながらも、同時に興味を惹かれたのは、幾度も読んで内容を憶えていることからも明らかだろう。それからおよそ20年もの時間が流れた後、本作『失踪日記』を読んで、あの作品が必ずしも作者の意図に沿うものではなかったことが分かった。何だか、ずっと誤解していた人の本心を知ったような気がしたものである。
同じように、失踪した上での路上生活を楽しいものと“誤解”させる、本作の作り方には頭が下がる。食料や煙草の調達のところなど、サバイバルものが好きな読者にとっては無人島生活を描いた物語を読むように心躍るくだりとして読まれるだろう。そこに作者が当時一番に感じていたであろう不安はない。思いがけなく肉体労働者となったその日の夜や、アル中になって入院した時に抱いただろう不安も、ない。全てあの『ふたりと5人』のように、悲惨でありながらおかしみを誘うものとして描かれているのだ。これが本作の特徴であり、同時に作者の資質なのだろう。
孤独の練習
なぜ作者が失踪したか、酒に依存するようになったか、という核心部についても、本作では言及が避けられている(あるいは、言及しようにも作者自身にも理由が分からないのかもしれない)。精神的に病んでいたのは確かだが、その背景には何があるのだろう。
もしかしたら、そこに何も無い、ということこそが最も恐るべきことなのかもしれない。なぜならそれは裏を返せば、誰にもそういうことが降りかかってくる可能性となるからだ。実際、自分にしても、「やるべきことをやりたくない病」に罹患することはままある。「何もかも置いて、どこか遠くへ行きたい」と思うことだってある。そうなった時に本当に失踪したとして、その先に何が待っているのか、ということを、本作は面白おかしくも示している。
太宰治の『人間失格』が今なお繊細な読者の心を捉えるのは、読者が自己の零落を疑似体験できるという側面があると思われるが、同じように、本作のヒットの陰には、少なからず“日常からの逃避とその後の孤独”について何がしかの教本が欲しいという人が居たためでもあるのでは、と勘繰ってしまう。
*書誌情報*
☆通常版…B6判(19 x 13cm)、全1巻。