「そのなんでも知ってる“精霊の王”って奴と友達になれば!!/なんの苦労もしないで毎日のんびり楽に暮らせるんだろ…!!」「ドバカモン」 『シャーマンキング』武井宏之 作、集英社『週刊少年ジャンプ』掲載(1998年7月~2004年10月)→完全版にて完結(2009年4月) ……
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第56夜 ほの暗い情念のドラマを超えて暁は到来する…『朝霧の巫女』
「柚子/朝霧の「約束」は覚えてるか?/俺はそれを果たすよ/それだけは確かだ/どんなことがあっても/それだけは必ず」
『朝霧の巫女』宇河弘樹 作、少年画報社『ヤングキングアワーズ』掲載(2000年1月~2007年8月)
広島県内陸部に位置する地方都市、三次(みよし)。『稲生物怪録(いのうもののけろく/――ぶっかいろく)』なる怪異物語の伝説が実在するこの街に、親の都合で5年ぶりで帰郷した中学3年生、天津忠尋(あまつ・ただひろ)の姿があった。
駅の改札を出るや、天狗の面を着け、忠尋を審神者(さにわ)と呼ぶ謎の人物、乱裁道宗(あやたち・みちむね)が接触してくるものの、天津家の親戚にあたる稲生神社の稗田(ひえだ)3姉妹に助けられる。
姉妹の次女で幼馴染の柚子(ゆず)の後押しもあり、稗田の家にやっかいになり高校に進む忠尋だが、なぜか『物怪録』さながらの怪異に襲われる日々が続く。亡き父から受け継いだといわれる自らの力に懊悩する忠尋だが、父の旧知だという女性、こまに訊ねても判然とはしなかった。
怪異対策として、忠尋の高校では巫女委員会なる対抗組織が発足。忠尋たちのクラスメイトの楠木正志(くすのき・まさし)も何かを知っている様子だ。柚子を始めとする巫女委員は相次ぐ怪異と対峙し、これを祓っていく。
しかし、それは後に待ち受ける、日本存亡をかけての事件の前哨に過ぎなかった。交錯する思惑の中、忠尋に選択の刻が迫る――。
聖地の空気を描き出す
連載終了後、実に6年もの歳月を原稿修正に費やし、先般コミックス最終巻が発売された作品である。まずは、その完結を寿ぎたい。
これほど地方都市への愛に溢れた作品も珍しいのではないだろうか。作者の宇河弘樹は広島県出身ということだけが明らかで三次の出身であるかは定かでないが、舞台を明確にし、地元の伝承を巧みに取り入れる構成は当時青年漫画としては斬新だった。作品舞台となった場所を訪れるいわゆる“聖地巡礼”は、従来から文学や映画にみられた概念だが、これが漫画作品で成立したのは本作が初めてと云っていいと思う(アニメであれば、ほぼ同時期に『おねがい☆ティーチャー』の長野県大町市という事例があり、その後、原作付きの『涼宮ハルヒの憂鬱』『らき☆すた』などで定番化したと思われる)。
もちろん、“聖地”を描き出した画面にも力がある。三次名物の朝霧を始めとして、四方を囲む山々、日本家屋の陰影、この世ならざる幽世(かくりよ)の描写など、えもいわれぬ空気を描き得ている。また、『稲生物怪録』にモチーフを持つ怪異たちは、『ぬらりひょんの孫』(第2夜)のようなメジャー妖怪というわけではないが、それだけに“得体の知れなさ”がいや増しに感じられ、雄渾な毛筆画のような画法が『ぬら孫』とはまた違った魅力を湛えている。巫女委員会という設定だけでキャラ萌えに走った作品と誤解されることもあるが、実態は民俗学的基盤を踏まえて描かれた骨太な作品だ。
呪と絆
物語について云えば、本作は様々な“かかわり”を描いた作品だと云うことができよう。それは母と子であるし、人と妖怪、人と神、あるいは人と国である。そしてもちろん、男と女でもある。“かかわり”は執着を呼び、それが妄執となって悲劇を生むし、あるいはそれを疎むあまり孤独を呼ぶ。主要登場人物のほとんどは、そのいずれかによって苦悩する。
異なる二者を、永劫にわたって分かち難く結い上げる力があるとするならば、それは呪いと同義だろう。本作において、その呪いを受けた者の眼差しは鬱々とした狂気を宿すようで、読者の胸を打つ。
だが、そうした呪いを断つ力もやはり、二者の繋がり、絆なのだ。呪いと絆は表裏一体であり、簡単に切り替わるだろう。しかしそれでも、孤独に逃げてはならないということを、本作は雄弁に語っている。
民俗学、日本神話、日本史の知識があれば、より楽しめること請け合いではあるが、それでなくとも異界の空気、積もる情念の切なさを十二分に楽しめる良作だ。
*書誌情報*
☆通常版…B6判(18 x 13cm)、全9巻。電子書籍化済み。