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漫画の感想やレビュー、随想などをつづる夜

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第112夜 大人の男に大切な事…『LA QUINTA CAMERA 〜5番目の部屋〜』

      2018/07/20

「あの貼り紙の下宿先ってあんたの所?」「ああ、俺とこのチェレと残りふたりの/男4人で暮らしてるアパートの一室だ。/4人とも働いてるし/お互いの生活に干渉はしてない。/部屋は使いやすいよ/家賃もウチは安めだ」


LA QUINTA CAMERA―5番目の部屋 (IKKI COMIX)

LA QUINTA CAMERAラ・クインタ・カーメラ) 〜5番目の部屋〜』オノ ・ナツメ作、ぺんぎん書房ウェブコミック誌『COMIC SEED!』掲載(2003年11月~2004年4月)+書き下ろし

 北イタリアのとある町。柱廊の下を歩いていった先に建つ、とあるアパートには、中年男が4人で共同生活をしている、ちょっと不思議な一室がある。
 家主でバールを営んでいるマッシモ。派手好みで、いつも騒動を起こすが憎めないチェレ。いつも街角で演奏している音楽家のルーカ。無口で影のある美男のトラック運転手、アル。そんな4人が、空き部屋の“5番目の部屋”に迎え入れるのは、町を訪れる短期留学生たち。
 語学留学のデンマーク人の女の子、イラストレーターの卵、4人よりも年上の紳士、ポテト大好きなアメリカ人――。次々と訪れ去っていく“5番目の部屋”の住人たちを歓待しつつ、4人の人生の一コマもまた、ゆっくりと過ぎ行くのだった。

“大人のやさしさで”
 高校生の頃、毎年秋に演劇祭という行事があり、3年ともキャストになったこともあって、そこそこ打ち込んだ。何年生の頃だったか忘れたが、いまだに憶えている台本のト書きがある。それは、普段は飄々としていながら人を気遣うことのできるナイスガイが、誰かが夜の街に出て行こうとする時に「気をつけて」とかける台詞に付された“大人のやさしさで”というト書きだ。
 そのト書きを初めて読んだ時、大人の男というのはそうあるべきだ、という不思議な感慨を抱いたものだったが、この漫画に登場する中年男たちにも同じ印象を抱いた。それが包容力、というものだろうか。落ち着いた家主のマッシモは云うに及ばず、要注意人物っぽいチェレも、子供にしか見えないルーカも、無愛想なアルも、もちろんキャラクターとしておかしかったり尖ったりしている部分はあるものの、大人の男の嗜みとしての節度と親切さも持ち合わせている。
 作者のオノ・ナツメはボローニャへの語学留学の経験があるそうだが(となると、この漫画の舞台もボローニャだろうか。作中に出てくる地理的条件を検討すると矛盾はない)、面白くも優しい、こんな人々に囲まれた留学だったのではと想像する。その思い出が、本作のみならず老紳士だらけのリストランテを描いた『リストランテ・パラディーゾ』など一連の作品として結実していることは改めて云うまでもないだろう。

巡りあい、別れゆく
 そんな彼らの紡ぎ出す物語は、静かだ。大きな出来事があるわけでもなく(現地では「ナターレ」と呼ばれる、クリスマスの前後を描いた1編はあるが)、彼らは日常を友人達と淡々と過ごす。
 と云って、起伏がないわけでもない。人生における出会いと別れが、日本離れした画風と映画的演出で抑えられながらも描かれる。
 この“出会いと別れ”は、第一には当然この漫画のタイトル通り“5番目の部屋”が作り出すものに違いないが、男女や友達といった、もっと引いた視点でのそうした転機も描いている。“5番目の部屋”の住人が入れ替わるのと、それぞれの人生において自分の前を多くの人が通り過ぎていくこととの間にあるのは、時間の長さの違いだけだ。巡りあって、やがて別れゆく(その究極が死だろう)という人生の本質を表すことである点に、大差は無い。
 そこまで考えるに至って、4人の男たちを再び思う。彼らの湛える“大人のやさしさ”とは、「いずれ別れが来るから、だから共に居ることを分かち合う」ということから来ているのだろう。来る者を拒まず、それを分かち合う彼らは、まさに理想のホストコミュニティと云っても言い過ぎでないだろう。そんな彼らの日々と結末に、少しばかりの涙がこみ上げる。

*書誌情報*
☆旧版…A5判(21.2 x 15.2cm)、全1巻。絶版。

☆新版…B6判(17.8 x 12.8cm)、全1巻。旧版に加え新規書下ろし2編収録。電子書籍化済み。

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