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漫画の感想やレビュー、随想などをつづる夜

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第43夜 視線の先の異形達は、己の異形の合わせ鏡…『ホムンクルス』

      2018/07/07

「波は落ぢづぐなあ……/波は俺(わぁ)を映(うづ)さねえ。」


ホムンクルス 1 (BIG SPIRITS COMICS)

ホムンクルス山本英夫 作、小学館『ビッグコミックスピリッツ』掲載(2003年4月~2011年3月)

 新宿西口から程近い場所に建つ一流ホテル。道路を挟んだ向かいの公園には、ホームレスの暮らすテント村がある。その境界線にあたる道路に車を停め、車中生活を送る男、名越進(なこし・すすむ)。スーツに身を固め、ホームレス達とはうわべだけの付き合いをする名越だが、かといって大手を振ってホテルのレストランに行くこともできない、狭間の男だった。
 裕福な家の医学生、伊藤学(いとう・まなぶ)は、そんな名越に接近し、第六感が芽生えるというトレパネーション――頭蓋骨に穴を開ける手術――を受けないかと持ちかける。伊藤の興味本位での提案だった。報酬は70万円。困窮しつつあった名越は一度は断るものの、結局その提案を引き受ける。
 かくしてトレパネーションを受けた名越は、左目だけで人間を見ると、ある割合で異様な姿を見るようになった。薄っぺらな男、輪切りになったギャル、金属のような卵に閉じ篭ったホームレス仲間…。それを聞いた伊藤は、「他人の深層心理が、現実のようにイメージ化されて見えているのではないか」と考え、それらをホムンクルスと名付けた。
 ロボットの組長、砂の女子高生など、名越は都会の雑踏の中で片目を凝らし、ホムンクルスとして見える人々の心に近づいていく。見ることは見られること。それは、名越自身の心に沈潜していくことに他ならなかった――。

逆スタンドへの“視線”
 全編通して気持ちのいい話ではない。しかし、興味深い。トレパネーションを受けた名越の目を通して描かれる人間の精神=ホムンクルスの造形が、不気味だが単純に心惹かれる。同時に、どういった経緯でその人物がそうしたホムンクルスとして見えることとなったのか、それを解き明かすこと自体も、「ホムンクルス」という言葉のそもそもの出所でもある、“隠されたもの”を見出そうとした錬金術の営みを思わせ、妖しい魅力を持っている。
 名越にしか見えない本作のホムンクルスとは、その人物の精神の歪み、ある意味ではその人物をその人物たらしめている本質が視覚化されたものだ。この、“その者の本質が見える形として表れる”という点だけを考えれば、『ジョジョ』のスタンドと共通していると云えよう。ただし、スタンドが外界に作用する意志の力であるのなら、ホムンクルスはどこまでも内向きにしか作用し得ない潜在意識の姿、いわば逆スタンドだ。
 それが見える名越は、彼らの精神の歪みを治す可能性を持つカウンセラーとして描かれ得るし、事実しばしばそうした役回りも担う。しかし、『殺し屋1』で少し触れた人間存在への冷めた視線は、名越だけを安全地帯に置いておこうとはしない。象徴的に云えば、彼がホムンクルスを見ている時、それらも彼を見ているのだ。本作は次第に名越の物語として展開していく。

二人の物語
 そんな名越の物語だが、彼は孤独を感じながらも完全な孤独ではない。本作は二人の物語だ。作中のどの2人なのかは名言しないが、あるいは特定のキャラクター2人に限った意味ではないと云わねばならないかもしれない。
 人が2人いれば、そこにコミュニケーションが生まれる。視線を交わすだろうし、言葉も、時には肉体も交わすだろう。そうしたコミュニケーションそのものが、本作の主題と云っても差し支えないのかもしれない。その探りあいが、再三繰り返されるホムンクルスと視線を巡るやり取りとも云えよう。その探りあいの果てにあるラストは、まさに純愛の結末に見える(あるいは見えてしまう)。
 手放しの娯楽作品とは云えない本作だが、時にはこんな迷路めいた作品に迷うのを楽しんでこその漫画読みではないだろうか。

*書誌情報*
☆通常版…B6判(17.8 x 12.8cm)、全15巻。最終巻に書下ろしエピローグ32pあり。電子書籍化済み。

☆文庫版…文庫判(15.4 x 10.6cm)、全10巻。

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