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漫画の感想やレビュー、随想などをつづる夜

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第32夜 白球とバット(釘付き)にかけた青春…『たのしい甲子園』

      2018/07/07

「是非もない!」


たのしい甲子園(1) (角川コミックス・エース)

たのしい甲子園大和田秀樹 作、角川書店『月刊少年エース』掲載(1998年5月~2000年9月)

 県下一の不良高校、瓦崎工業高校。校舎内にバイクの改造屋があり、些細なことで乱闘が始まるワルの名門である。
 瓦工をシメようと入学してきた桂ケンジ(かつら・――)は順調に上級生を倒していくが、「瓦工にいる限り、いやでもその存在を思い知らされる」という男、太田(おおた)の存在を知る。遂に直接対決に至った二人のチキンレース対決で、太田の器に触れたケンジは敗北を悟る。県をシメることばかり目指していたケンジに、太田は自分の目標は全国制覇だと言い放ち、ケンジの力が必要だと告げる。
 感動したケンジは太田の舎弟となるが、翌朝集合したチームの面々は、なぜか野球のユニフォームを着ていた。太田こそが瓦工野球部の主将であり、全国制覇とは甲子園優勝のことだと知り現実逃避に走るケンジ。超高校級の実力を持ちながらワルだけで編成される最凶チームの波乱しかない挑戦が始まる。

持ち味は驚天動地
 本作を果たしてスポーツ漫画というジャンルに含めてよいか、しばし考えてしまった。概要に記した通り、野球部のメンバーはマネージャーの女の子以外は誰もが「超」の付く不良である。不良で野球というと、例えば森田まさのりの『ROOKIES(ルーキーズ)』を思い起こす人も多いだろう。だが本作はそうした作品とは明らかに異なる。
 まず、彼らは練習しない。練習の描写があるのはほんの序盤と裏表紙のカット漫画だけである。練習の描写に話数を割く作品もある中で、やはりこれは特異的だ。そして、友情やチームワークといった概念がほとんどない。プレー中でも、ちょっと気に障ろうものならメンバー同士で殴り合いが始まる。それを太田や副ヘッドが力で抑え込むように収拾をつける。ヘッドの太田がトラブルを引き寄せる性質なのか、野球に限らず毎度「何か大変なことになる→太田以下メンバーの力でどうにかする」というテンプレートに沿って(そこに若干のタイガース愛が混入しつつも)話は進行する。
 チームのメンバーは何をするにも過激で、体力だけでなく、知力・財力などで図抜けた人間が集まっている。“クズの掃き溜め”と社会に見下される高校に所属する彼らが、衆目の意表を突いた活躍で驚かせ、ついでにそこに生じるおかしみで、読者の笑いまでも誘う様は痛快だ。

傾奇者は振り返らない
 さらにもう1つ付け加えると、彼らは反省しない。だからチームとして成長しないし(そもそも最初から超A級だからでもあるが)、同じようなことを何度でも繰り返す。
 ここまでを字面で読むと、まったく魅力的に感じられないのだが、作中でみる彼らの、その変わらなさ、ブレのなさこそが、野球という競技を超えて逆に清々しい。
 ふと、戦国末期から江戸期にかけて出現したと云われる傾奇者(かぶきもの)を連想する。奇抜な格好をして徒党を組み、狼藉を繰り返して権力に楯突き、自分の信念を通すためには命をかける。そんな生き方は、まさにいにしえの無頼漢と現代の超不良たちに共通する美学と呼べるのではないか。そういえばこの作者は近作『戦国ヤンキー』で、まさに瓦工なみの不良として織田信長を描写したのだから、自分の考えもあながち妄想と切り捨てられはしないだろう。
 「成長」や「鍛錬」だけが美徳とは限らない。傾奇者たちが持つ変わらなさ、ブレの無さこそを、少し勉強してみるのもいいのではないか。

*書誌情報*
☆通常版…B6判(17.8 x 12.8cm)、全5巻。電子書籍化済み。

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