100夜100漫

漫画の感想やレビュー、随想などをつづる夜

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第192夜 その“ヘンなの”と過ごした日々を忘れない…『のらみみ』

      2018/07/23

「やっぱりアレですか。/居候するならドジでメガネでひとりっ子の男の子ですか?」「そりゃあもちろん。/キャラならみんなが憧れる環境じゃないですかね。」「僕、ひとりっ子とドジっていうのはなんとなくわかるんですけど、/メガネの理由がわかんないんですよね。」「さあ…おいらにも説明はできないけど、なんかその3条件が合わさると/このへんがムズムズと…/きっと本能的なものなんでしょーね。」


のらみみ 1 (IKKI COMICS)

のらみみ原一雄 作、小学館『スピリッツ増刊IKKI』→『月刊IKKI』掲載(2002年12月~2009年8月)

 子どもがいる家庭に居候し、日常に愉快さを演出してくれる「居候キャラクター」。そんな往年の藤子不二雄漫画のような存在が当たり前に居る世界。
 居候キャラクターの家庭への紹介を主業務とする大手キャラクター紹介会社「ハローキッズ」。その59号店には、ちょっと変わったメンバーがいた。
 居候先がなかなか見つからず、59号店そのものに居候して、仕事を手伝ったり好物の水あめをこねたりして過ごしている彼の名前は「見習いこぼうず・のらみみくん」。そののらみみからも「半田っち」呼ばわりされている若手の半田トシオ(はんだ・――)、しっかり者の更科ユキコ(さらしな・――)、交際相手の趣味に染まりやすい事務のナオミ、そしてどう見てもトマト似なトマゴメ所長の合計4人と1キャラが59号店の人員だ。
 そんな59号店には、毎度いろいろなキャラがやってくる。動物っぽいの、ロボっぽいの、オバケっぽいの、人間っぽいの、そういう形容では説明できないシュールなの…。
 見た目は愉快だけど、キャラ達にだって悩みがある。中学生になるとそれまでの子どもと“お別れ”しなければならず、それをどう切り出すか。“お別れ”した後の身の振りはどうするか。なかなか居候先が決まらないので人気のキャラタイプに似せたイメチェンでもするか。などなど。
 時には居候先の家庭が抱える悩み相談にも乗りつつ、日々59号店には騒ぎが絶えない。おバカキャラのドッタリ君や、のらみみの妹分あまのじゃくシナモン、おとなしめなキャラおたまじゃくそんなど、知り合いキャラも増えて、店舗居候という身分にあまり切迫感を覚えることもなく、のらみみは過ごすのだった。

友のように兄弟のように師のように
 初めての漫画経験が『ドラえもん』だという人はやはり多いのだろうか。兄姉がいる人は、その限りではないかもしれないが、自分は恐らくはそうだったと思う。
 『ドラえもん』に限らず、特に子どもを主な読者と想定した藤子不二雄作品では、主人公の少年と、同居することになる“何か不思議な生き物”という組み合わせがテンプレートと云えるだろう。そこにはドラえもんやハットリくんのように主人公を強力にサポートする比較的有能な者もいるし、反対にQちゃんコロ助のように主人公に手をかけられることが多い者もいる。それでも、主人公と深い絆を育み、少年の家族や友人たちからも信頼を得ること、不思議な力と愉快な性格で日常の潤滑油となることなどは共通していると云えるだろう。
 自分もご多分に漏れず「ウチにドラえもんが居ればなあ」などと想像にふけった子どもではあったのだが、それが実現してしまった世界を幻視させてくれるのが、この漫画である。作中の現代日本では“キャラ”というものが普通に受け入れられている。そこには何の説明もないのだが、キャラの紹介を生業とする企業の業界話的な要素もあって「そういうもんか」と納得させられてしまう。
 何より、百花繚乱たるキャラの個性が楽しい。普通に可愛いマスコットなキャラ、ちょっとシニカルなキャラ、むしろお父さんと親しくなっちゃいそうなオヤジキャラ、老師のように躾に厳しいキャラ、自分の役にハマり切っちゃってるちょっと困ったキャラ。こんなに一度に出しちゃっていいのかと心配になるほどの個性が登場する。
 そんなキャラと子ども(時には大人でもある)が築く関係は、友人同士のようであり、兄弟のようでもあり、師と弟子のようであり、時として恋人同士のようですらある。彼らが織り成す千差万別な出会いと別れ、あるいは何気ない日常の様子が、コミカルな画でありつつもストレートに心に沁みる。ちなみに作者はおバカキャラのドッタリ君がお気に入りのようで、再三登場して、可笑しくもちょっと涙を誘うエピソードを紡いでくれる。

アイツもコイツも紹介所経由なんじゃないか?
 でありながら、ある意味でこの漫画はズルい。キャラが溢れる世界を描くが故に、そのどこかで、我々の現実に溢れるキャラクター達も紹介所に登録しているのではないか、と思わされてしまうのだ。つまり、ケロロ軍曹おじゃる丸ジバニャンも、もしかしたら、ふなっしーなんかも紹介所から来た“「設定」重視”なキャラではないか、という疑惑を読者に植え付けてくるのである。
 見方を変えれば、この漫画はキャラクターというものをメタな視線で見つめるという批評性を有している、ということにもなりそうだ。
 このことは、キャラの病気を診るキャラドクター緑山里枝(みどりやま・りえ)が登場するエピソードでほのめかされるのみではある。が、特に後半のエピソード群からは、キャラというものが人間にとって何なのか、それを嗅ぎ取ることも可能だろう。私見だが、それは恐らく、土地神や妖怪、動植物やロボといった姿を取りながらも、本質的には人間の意識を投影したもの、なのではないかと思っている。
 そうした奥深さをうかがわせつつも、やはりこの漫画の第一の魅力はキャラと人間の純な関わりだろう。年の瀬、大人も少しだけ童心に帰って、その魅力にひたられたい。

*書誌情報*
☆通常版…B6判(18.2 x 13cm)、全8巻。電子書籍化済み(紙媒体は絶版)。

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